遊楽部川
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遊楽部川は、太平洋側の北限のアユ、キュウリウオやシシャモの南限として有名だったが…、今では、見ることもなくなってしまった。とても残念なことだ。
湧き水が豊富で水温が低いことから、流域は水田開発されることなく、取水堰などの横断構造物は一つもない。魚が、上下流を自由に往き来することの出来る、実に好都合な川なのだが…。
当時、フリーカメラマンの私は、この遊楽部川の魅力に惹かれて、移住までして撮影を始めたのが1977年10月。その当時は、苔むした大きな石が沢山あり、豊かに蛇行した野性味のある川らしい川だった。川底の石は大きなものが多く、重たい水中カメラを持って歩くのに、足の踏み場に苦労し、転ばないように歩くのが大変だった。
遊楽部川の上流や支流の川には、治山ダムや砂防ダムが建設されていたが、その頃、ダムについての意識もなく、ましてやダムの影響など考えてもいなかった。せいぜい、河川管理のために建設したのだから、問題はないだろうという程度の意識だった。ここ遊楽部川に、ダムの影響がこれほど及んでくるなどとは、まさか想像だにしなかった。
やがて、遊楽部川の魚の水中撮影を続けているうちに、川底に砂が目立つようになった。川底の大きな石が、うっすらと微細な砂やシルトを被るようになって来たことに、疑問を持ち始めた。撮影した写真は、水の透明感のある青みが無くなり、灰色がかったり、茶色がかって、汚く写るようになった。泥を被った石は、絵にならず、砂や泥に埋まったような川石では、美しい川は表現出来ないものだった。
1992年になると、八雲町でも、遊楽部川の支流、砂蘭部川の上流に位置する砂蘭部岳を中心に、スキー場、ゴルフ場、ホテルの典型的な三点セット型リゾート開発計画が浮上し、八雲町長が町議会で表明した。事業者名は、業者から固く口止めされ、最後まで明かさなかった。その一方で、事業者は自ら雑誌に、「八雲町のリゾート開発計画」を公表していたのだから、地元民を田舎者として扱った態度だった。地方を舐めた企業は、地元雇用の拡大、地域振興の為のリゾート開発計画などと持ち掛けて、八雲町を欺すような対応だったことから、地元から異論が出たのは、当然のことだった。開発の反対運動が展開されることになった。
スキー場、ゴルフ場、ホテルの三点セット型リゾート開発計画で標的になった砂蘭部岳。
八雲町民の水源の山である。このリゾート開発計画の反対運動の中で、その源流から流れる川の河床低下が話題となり、私は、河川管理の在り方も大いに問題があることに気が付き、川の記録を始めるようになった。そして、ダムは建設後の直ぐに、影響が現れる訳ではなく、徐々に気付かない程の変化の積み重ねを経て、取り返しのつかない変貌を起こすものであることを知る。
次の写真は、遊楽部川河口の国道5号線、バイパス橋脚の変遷を撮ったものだ。
ダムのある川では、必ず川底が下がる。遊楽部川河口付近でも河床が下がり、川岸が崩れて川幅が広がっている。北海道大学の砂防学のN教授は「河口付近で、河床が下がるような影響は出るはずはない」と一笑した。では、この事実を一体どのように説明するのだろうか…
赤い点線で囲った橋脚が、下の写真と同じもの。遊楽部川河口付近の国道5号線バイパス橋の変遷。
橋脚は、1990年には右岸の陸地・河畔林の中にあった。2004年には川の中に。そして、2012年には陸地・河畔林の中にあった右側の2つの橋脚までもが川の中になった。つまり、右岸が崩れ流出し、橋脚が露出してしまったということだ。1990年の写真では、川の中に島があったが、それも流されてしまった。
遊楽部川上流に、国道277号線の清流建岩橋がある。その下流には鬱蒼とした河畔林があった。下の写真は1990年当時のもの。
2013年12月05日。清流建岩橋の下流から撮影。上の写真と同じ場所だ。年々、川岸が崩れ、河畔林が失われていった。
下の写真は、現在の姿。
鬱蒼としていた河畔林は、失われてしまった。ダムが、河床低下を起こし河岸を崩す。こうして川は、護岸化されていくことになる。雨で川が増水する度に、河床低下が起きている川の岸は、「砂山崩し」のごとく、いとも簡単にドサット崩れ落ちる。そこから微細な砂やシルトが大量に流れ、川は酷い泥水になるのだ。
発生した河岸の崩壊は、下流に甚大な影響を与えることになる。川岸が崩れて河畔林が倒れ込み、根付きの流木となって海に流れ出す。それが、沿岸のホタテのケタや定置網などの漁具被害を起こす。養殖施設では、泥を被ったホタテが斃死し、稚貝も採れなくなる。更に、農地や道路も崩れ、住民の生命・財産に被害を及ぼすことになる。
川底には膨大な量のドロが沈澱し、川底で繁殖する魚の卵は窒息して斃死することになる。こうした影響が、ずっと続いて来た。その結果、アユやシシャモ、キュウリウオを絶滅させ、当たり前にいたウグイやウキゴリ、ハナカジカすら激減させている。ごく普通の種が、希少種扱いにされる理由が、ここにあることを知っていただきたい。
ちょっとした増水でも、まるで大水害が起きたかのような酷い泥水が流れるようになってしまった。治山ダムや砂防ダムは、下流に流れ出す大きな石を止め、ふるい分けた小石や微細な砂やシルトばかりを流すようになる。ダム下流に残っていた巨石は流されて、歯止めの役割である巨石を失った砂利は、川底からどんどん流される。砂利を失った川底は下がり続け、その度に河岸が崩れ、川は泥を出し荒廃の末路を辿る。
遊楽部川はもう末期的だ。手に負えない状況になっている。増水すれば補修した護岸も再被災し、再補修しても再々被災を繰り返している。常に、当たり前かのように災害が発生するようになってしまった。このことは、工事業者にとっての仕事の創出が増産されることとなっている。自分の体を、自ら傷をつけて、保険金で治療を繰り返しているようなものだ。体が持つはずもない。何れ、壊れてしまうことは分かりきっていることだ。
河川工事は多くの場合、渇水期の冬に行われる。遊楽部川は自然サケが上る川だ。その為、サケのそ上する時期は工事が見合わされ、そ上が終わってから工事が着手される。親サケはいないけれど、卵やふ化したばかりの稚魚が、川底にいるのに、工事を見合わすことはない。漁業者やふ化場機関もそれを認めている。
この工事箇所は、サケの産卵場になっており、この冬も幾つもの産卵床があることを、私たちは河川管理担当者に伝えていた。担当者に抗議すると、「工事業者が雇った専門家が、サケの産卵した形跡は見られないから、問題はないと助言を受けて工事を着工したと聞いている」と答えた。これは、驚く発言だ。業者まかせの河川管理で、監督責任はないのか?この担当者は、業者に遠慮しなければいけない何かがあるのか?しかも、この業者が雇った専門家という人物は、日本野鳥の会の役員の肩書きを無断利用した個人であることが分かった。そのことを承知で、担当者が業者に斡旋していた事実にも、驚く。
欺き以外のなにものでもない。これが「配慮して行う河川事業の実態」である。魅せられた、あの頃の美しく豊かな川は、こんな管理の在り方では、もう戻らない。