沙流川
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日高山脈の西を流れる川である。
北側には鵡川があり、沙流川とともにシシャモが上る川で有名だ。河口から国道237号線を北上していると、こんな垂れ幕が目に飛び込む。
沙流川にはアイヌ民族の聖地を水没させた堤高32m、堤長550mの二風谷ダムがある。
この二風谷ダムは、2003年08月09~10日の台風10号で大量の流木が流れ込み、10日未明には停電に見舞われ、ダムの自家発電機も動かず、操作不能に陥った。まさに二風谷ダム決壊の危機にあったのだ。8月10日の午前1時過ぎ、二風谷ダム決壊の恐れがでてきたとして、平取町市街地の住民に高台に避難するよう指示が出された。町内に投宿していた私は、大音量のアナウンスと不気味なサイレン音にたたき起こされ、ダム問題の勉強会に参加していた自然保護団体や弁護士グループと一緒に避難のために逃げ惑った一人だ。深夜のこの騒ぎを音声だけでも記録しておこうと考えてビデオカメラを回した。この時に沙流川、二風谷ダムを撮影した映像が、テレビ朝日の「ニュースステーション」で放映された。ところが、現場で撮影したこの映像が資料映像だなどと虚偽を記述した論文が目白大学の蔵書にある。ニュースステーションで取り上げた内容を否定するために意図的に作成されたもののようだ。放映映像の撮影者への問い合わせもせず、科学・学問の原則である事実確認を怠った捏造論文である。あたかも科学論文であるかのように似せて真実をもみ消し、世論操作を担ったのか。この論文は、「国土交通省九州地方整備局の委託研究の一部 」で、国土交通省の『報告書「河川 情報等調査検討業務報告書」を大幅に加筆修正したもの』とある。よくも事実と異なるウソを書き綴れるものだ。目白大学には論文審査委員や倫理委員がいないのか。学問の最高学府としての大学機能が全く麻痺しているのだから、呆れる。目白大学は恥じを知るべきである。
当時を記録した「鮭はダムに殺された」~二風谷ダムとユーラップ川からの警鐘~著:稗田一俊(岩波書店・2005年)を参考にされてください。
https://www.iwanami.co.jp/book/b262558.html
不思議なことは、北海道開発局が所轄する二風谷ダムの報道番組を、なぜ、管轄外の九州地方整備局が論文にする必要があったのか…?「科学的な検証報道というよりも、世論の相克を描いたドキュメンタリーである」と書かれている。自らは科学することをしておらず、誰かのための大本営発表に仕立てあげている。これが「御用学者の御用論文」というものだ。
ダム決壊の恐れがある危機的なその時に停電が発生し、予備電源の自家発電機も稼働できないという人為的なミスも発生した。その8年後には、福島第一原発で停電が発生、しかも、自家発電機も稼働できずに取り返しがつかぬ深刻な事故が発生した。これは、真実を隠蔽しようとする「心」が招いた事故ともいえよう。この論文のように不都合な真実を明らかにしたくないという思想が根底にある以上は、人の生命・財産は二の次にされる。こんなことが繰り返されないためにも、私たちが真実を知ること、知りたいと関心を寄せることが隠蔽や捏造の抑止になり得るかも知れない。是非、皆さんも取り寄せて読まれてください。なぜ、資料映像などと嘘をつかなければならなかったのか?ここを考えてください。
「ニ ュ ー ス ス テ ー シ ョ ン」 が伝えた 「二 風谷ダ ム 」 報道
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007000936
二風谷ダムは、苫小牧東部開発計画の工業用水の供給を目的に、国が1973年に治水や発電を加えた多目的ダムとして計画。その後、苫小牧東部開発計画は規模縮小となり、建設の目的を失った…、筈だったが、治水を付け加えた多目的ダムは、中止されることはなかった。
完成した二風谷ダムには、苫小牧東部へ送水する不要な筈の「取水塔」が造られていた。その後、撤去された。その痕跡が残っている。
二風谷ダムは、土地の強制収用によって建設されたが、土地収用の裁決処分を不服として処分の取り消しを求める行政訴訟が起こされた。
その顛末は下記のURLに詳しいので参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/二風谷ダム
http://www.echna.ne.jp/~schunn/IndigenousRight.htm
二風谷ダムは、平取ダムとセットの「二ダム一事業」として認可され、二風谷ダムの完成後、二風谷ダムについて違法判決が下された。しかし、二風谷ダムは取り壊されることは無かった。そればかりか、「二ダム一事業」が見直されるかと思いきや、平取ダム建設がゾンビのごとく起き上がってきた。平取ダムは二風谷ダムのある沙流川支流の額平川に計画され、2015年3月の今、ダム建設に向け工事が進められている。(平取ダムについては額平川の項で紹介しています)
2003年08月9日~10日の台風10号による大雨で起きた、「ダムの危機」とは?
流入量5,500トンを超える濁水が、土砂と大量の流木と共に押し寄せた。河川管理者は「ただし書き操作」を行い、流入量の全量を放水し始めた。ところが、水位は下がらず、上昇を続けたのだ。現場を目撃した地元の人は、「停電と自家発電機の故障が重なり、二風谷ダムはコントロール不能の危機的な事態となっていた」と証言している。この危機的な時に、私は下流の平取町内の宿にいた。
二風谷ダム堤体下部の「オリフィスゲート」の放水口に、大量の流木が押し寄せ、放水口が狭まった。流入量の全量を放水することが出来なくなり、水位が上昇を続けていたことは間違いない。放水口を次第に狭めていけば、水の出が渋くなるのはお分かりいただけると思う。
下流には平取水位観測所がある。数値計算に詳しい佐々木聡氏が、5,500トンの放流をしているのに1,900トン足りない3,600トンの水位を示していたと指摘している。後に、開発局は、放水量と水位の相関式が間違っていたとして、計算式を訂正したのだ。
二風谷ダム決壊の危機の現場に立ち会い、重要なことを知った。
●ダムの実際の放流量は確認できないこと。
●放流口が流木等で塞がったら、人は手も足も出せないこと。
放水量は、単に机上の計算式で出された量である。また、放水操作はゲートが流木で塞がると、取り除くことは不可能になる。即ち、巨大ダムは決壊で多くの人々の命を奪う危険なものということだ。
2003年8月10日の午前1時過ぎ、二風谷ダムは、ついにダムに流れ込む水の全量を放水する「ただし書き操作」を行い、不気味な「ブオ~~~~~ン、ブオ~~~~~ン…」という大音量のサイレンを鳴らし、ダム下流の平取町民は恐怖で逃げ惑うことになった。
平取町の消防は、市街地の住民に対して「二風谷ダム決壊の恐れが出てきましたので、住民の皆さんは高台に避難してください」と広報車で避難勧告のアナウンスをがなり立てた。
「ただし書き操作」は、二風谷ダムが決壊しないようにダムを護る操作だ。決壊すれば多くの被害が発生するから、ダムが決壊しないように護る操作である。
「ただし書き操作」で、一体どんなことが発生するのだろうか?
二風谷ダムから一気に大量の水を放水すると、下流の水位は短時間で一気に上昇する。堤防から水が溢れるかも知れない。堤防が決壊するかも知れない。支流の川水は、本流の水位が上がるので、短時間で一気に氾濫する。(内水氾濫という)。堤防の水門の開いているところから、本流の水が短時間に大量に勢いよく流れ込んでくる。下流の住民は逃げる余裕もなく、濁水に飲み込まれる危険に見舞われるのだ。巨大なダムが、下流の住民の生命・財産を脅かす。
2003年8月10日に、二風谷ダムで「ただし書き操作」を行った国が、許されない対応をしていたことを知っていただきたい。
二風谷ダムの管理者である国は、「ただし書き操作」を行った際に、下流の住民に放水の情報を知らせるよりも前に、堤防にいた国の職員に樋門(ひもん)を閉じる指示も出さず、すぐに堤防から逃げさせていたのだ。そのため、平取町よりも下流の荷菜地区で、沙流川の荷菜大橋の左岸の住民I氏は「ただし書き操作」がされたことも知らされず、避難することも知らされないで家にいて逃げ遅れた。みるみるうちに家に水が入って来て、生死の淵に立たされた。あわやという時に知人が助けに来てくれ、まさに九死に一生を得たという。これはI氏が生きていたから聞けた話しである。
また、沙流川の下流の富川地区では開いたままの樋門(本流に設置された水門)から、沙流川の泥流が勢いよく流れ込み、多くの住宅が水没した。家の周りに土嚢を積んでいたY氏は、樋門から逆流した濁水の勢いは凄まじく、置いていた土嚢が7mも,8mもぶっ飛んだと話してくれた。私も、富川地区で樋門から逆流した泥水で、住宅が水没している現場にいた。
「ただし書き操作」とは、下流で多くの被害、犠牲が出ていても、どうにも止まらない操作であることを知った。住民の生命財産を守るのことが目的でダムは建設されるというが、二風谷ダムが壊れそうになった時、ダムを護ることが最優先され、住民の生命・財産は二の次にされるのだと知った。
巨大ダムは、決壊すれば甚大な被害をもたらせ、決壊しないようにダムを守る「ただし書き操作」は甚大な被害をもたらす。つまり巨大ダムは、決壊しようがしまいが、ダム下流の人たちが犠牲を強いられる恐ろしい危険を孕んでいるということを知っていただきたい。
水害にあった富川地区の住民は、「二風谷ダムが無かった時は、川の水はゆっくりと増水したから逃げる余裕があった。でも、ダムが出来てからは、川の水が急に増えるようになり、逃げる余裕が無くなった。俺たちだって逃げるのがやっとだったのに、年寄りや障害者なら、なお難しくなる。二風谷ダムが建設されて、むしろ危険になった」と話してくれた。富川地区の水没した住宅は、家の中や家具がヘドロまみれになっていた。
樋門から逆流した沙流川の泥水で、水没した住宅の前に泥まみれになった家具が出されていた。樋門から逆流した濁水が、住宅を次々に水没させていたのに、国は樋門から逆流したかどうかは解らないと言う。国は、住民が証拠を示して指摘しても、住民がそう言うのなら、そうなんでしょうと煮え切らない対応をしている。
国は、ダム建設の際には、住民の生命財産を守るためと声高く謳うが、いざ住民が水害を受けたら、住民の声に耳を傾けないというのが真実の姿だ。ダムが完成すれば、水害がなくなると信じている人たちは、ダムの「ただし書き操作」が、いかに危険なことかを是非、知っていただきたい。
この沙流川水害については水源連のHPを参照ください。
http://suigenren.jp/news/2012/10/18/2582/
巨大ダムは泥を選り分けて、増水時に大量に泥を流す。そのため、ダムの下流では大量の泥が川底に沈殿している。魚類の繁殖を困難にし、沿岸の海底を泥で埋めてしまう。サケやサクラマス、シシャモやキュウリウオから、沿岸の魚介類まで水産資源の激減や消滅をもたらせ、その影響は計り知れないものがある。
更には、工業用水や命の水を確保するためなどと立派な目的を謳っている「利水ダム」だが、皮肉なことに実際には深刻な水不足をもたらすのである。それを示す記事が、北海道新聞2014年07月16日(札幌圏版)・「沙流川流域は今、平取ダム本体着工を前に・細る井戸 渇水騒ぎも」にある。ぜひ参照していただきたい。
また、「十勝川水系の河床低下に伴う沖積層地下水の変動(1981年11月30日)・北海道大学」という論文があり、地下水位が下がって、水不足になることが指摘されている。
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/14384/1/40_p23-30.pdf
ダムの下流で川底が下がることは1982年07月の論文でも明らかにされている。(土木学会論文報告集・第323号・1982年07月「床固め上下流域の全体的河床低下特性に関する研究」道上正䂓・鈴木幸一)
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00037/323/323-124114.pdf
二風谷ダムに流入する砂利を止めるために建設された貯砂ダム。2003年06月22日に撮影したもの。当時は落差があったダムだが、現在は、ほぼ砂利で埋まり、落差が殆どなくなってしまった。それだけ二風谷ダムは砂利で埋まったのだ。
沙流川の本流には昭和33年(1958年)7月に完成した北海道電力の岩知志ダムがあり、現在はほぼ砂利で埋まっている。ダム湖の橋の上から水面を見ると、砂利がどのくらい溜まっているかが目視できる。
岩知志ダムの上流に、岩内園地(公園)がある。沙流川の川幅が異常に拡がっていることがよく分かる。岩知志ダムの堆砂域が、上流へと拡がっているからである。
2006年の大雨で沙流川が増水した際、この岩知志ダムで作業用台船(ダムに溜まった砂利を浚渫していたのだろうか)が、流されて放水口に挟まって塞ぎ、放水操作をするゲート板を壊した。岩知志ダムは、放水操作ができない操作不能の状態になり、その状態が暫らく続いた。下は、その時の写真だ。
こんな初歩的な事故が実際に起きている。予測しなかったことが、発生するのが事故だ。巨大ダムのある地域の人たちは、ダムの操作は人が行うということ、そして予測不能の事態が発生し、危険と隣り合わせであることを知っておく必要があるだろう。
※東日本大震災で震度6強の地震があった福島県須賀川市で、藤沼ダムが決壊し、22戸が全壊、8名が犠牲になっている。下記に藤沼ダム決壊をまとめた記録がある。
URL:http://www.funnycat.tv/video/Li_–_uHW60
また、ダムがもたらす河床低下は、ダムの下流全域に影響を及ぼす。
沙流川沿いの国道237号線の幌去橋の上流右岸では地滑りが発生している。これまでも何度も地滑り対策の工事が行われて来た。それでも止まらなかったのか、工事は大規模化している。
国道237号線、仁世宇の沙流川沿いの国道を通行される方は、道路の崩落に注意が必要だ。路面が波打ち、傾斜面が落ちていることが分かる。地層が地下水で滑り出しているのか、地下水を抜く井戸を複数設置し、崩れないように杭で打ち込んでいる。果たして、この処置は正しいのだろうか?大丈夫なのだろうか?本当の原因が、地下水ではなく沙流川の川底が下がっている為、道路の法面が崩れ落ちているのだとすれば、この地滑り対策では、再び崩落する。増水の際の通行には、注意が必要だろう。
国道237号線が崩落したり、万が一被害者が出た場合、因果関係について河川管理と国道維持管理の在り方を検証する必要があるだろう。
幌去橋下流で右岸の斜面が崩落している。水流が直接斜面を浸食するようになり、崩落は拡大を続けている。
更に上流には、本流にも支流にも沢山のダムがあり、砂利が止められている。その下流では砂利が流され、小さな石ばかりになってしまった。急峻な川だからこそ、挟まりあった巨石が必要なのだが、その巨石まで失い、浸食が進行している。洪水ごとに危険を増す川になった。
河川管理の在り方、ダム責任の所在を見直す必要がある。科学技術の先進国と自負しながら、現場の姿は未熟なものだ。こんな矛盾と危険を孕むダムは、建設してはならない。建設させてはならない。