石狩川水系忠別川
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忠別川は石狩川の源流の一つで、天人峡温泉がある。2010年08月24日の未明の雨で、天人峡温泉に続く道路が流され、観光客らが孤立したところである。
天人峡温泉の下流には堤高86m、堤長885mの巨大な多目的ダムの「忠別ダム」がある。その上流には取水ダムを始め、たくさんの治山ダム・砂防ダムがある。
2010年08月24日の未明に、大雨で天人峡へ続く道路が崩壊し、さらには忠別川をまたぐ「上忠別橋」のコンクリート擁護壁がはがれて、取り付け部の盛土が流れ出して路面が崩落し、通りかかった車3台がここから転落し、1人の生命が失われた。
2010年10月04日に現地を取材した。
上忠別橋の取り付け部には土嚢が積み上げられ、応急処置がされていた。
急峻な川には巨石と言われる大きな石がたくさんあるものだ。しかし、ここには大きな石がない。
あるのは、こぶしの大きさ程度の石で、砂や泥ばかりである。
このような川の上流には決まってダムがある。
ダムは流速を減じるから、流下する大小様々な粒径の砂利をふるい分けて、大きくてもせいぜいサッカーボールほどの石やこぶし大の石、砂や泥など、粒径の小さな砂利ばかりを下流に流す効果がある。やがて、ダムから下流に流れ出す粒径の小さな砂利の量が次第に増していく。
ダムの流下する砂利のふるい効果は絶大で、その特徴がこの川に表れている。
ダムの下流の川底の石がこぶし大程度の石に変わってしまうと、流されやすくなり、増水毎にどんどん流されていく。その結果、川底が下がってしまう。これを専門用語で「河床低下」という。
※当ホームページのイラスト解説「ダムの仕組み」をご覧ください。
この川の川底の砂利は「増水した時に流されやすくなっている」ことに是非注目ください。
AやBの写真では川岸から水が溢れ出した痕跡は見られず、水位も上昇していない。それなのにコンクリートブロック護岸が崩れている。
さらに、BとCの写真では護岸の下に置かれたコンクリートブロックが前のめりに沈み込み、バラバラになっている。
このコンクリートブロックは川底が水流で掘られないように川底に敷き詰められていた護床工(ごしょうこう)と呼ばれるものだ。そのブロックの基礎の砂利が抜かれたため、前のめりに傾き、沈み込んで壊れたわけだ。
護床工は川底に敷設するもの。それが水面上に露出したのだから、川底が下がったことを意味している。
忠別川の2010年8月24日の増水は、容易く砂利が押し流されて川底を掘り下げてコンクリート護床工ブロックの基礎の砂利を吸い出すように抜き出した。その結果、コンクリート護岸が壊れ、上忠別橋のコンクリート擁護壁が倒壊し、道路の盛土が崩れ出して道路を陥没・崩落させたことがA、B、Cの写真からも伺える。
上忠別橋から上流を辿った。
忠別川には多くのダムが建設されており、急峻な川に不可欠な巨石が少ない。川底の砂利は小粒化、したがって、川底の砂利は流されやすくなっている。増水のたびに川底の砂利が流され、川底はさらに下がり続け、道路や山の斜面が崩れる災害が多発するだろう。
「河床(川底)は下がっていない」とする北海道大学工学部のS教授の発言が当時の毎日新聞に記載されている。しっかりと記憶にとどめておいていただきたい。
ダムは川の安定に必要な石の供給を止め、ダム下流の巨石をも流してしまい、その結果、川底が下がるようになって、川を壊していくことになる。ダムが河床低下をもたらせて災害を引き起こしていることを知っていただきたい。
そして、次代のために、河川災害の現場を記録しなければならない。取り返しがつかぬ河川荒廃を招いた河川工学や砂防学の過ちを悔い改めるためにも。