軍川(いくさ)

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北海道南部・大沼に注ぐ急流河川で、扇状地は畑や水田になっている。大雨で、周辺の農地は水浸しになる。いわゆる内水氾濫だ。現在、農地を買い上げて、遊水池の建設が始まっている。

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農地を買い上げ、掘削して遊水池を作っている。2015年04月06日。

今から5年前、大規模に川幅を広げて長い堤体の砂防ダムを4基建設する計画がされた。河川管理者は、ダムを建設する理由として、農地から出る泥が川底を押し上げて越流するから、川幅を拡げて水位を下げると説明している。しかし、私たちが、冠水の原因は、「内水氾濫」であり、遊水池を設けることで対処出来ることを指摘すると、今度は下流域にある老人ホーム施設を冠水から守るという説明に一変させたのだ。ダム計画の段階では内水氾濫を認めず、ダムが完成してから今になって、遊水池の建設を進めているのだ。全くの理不尽である。

また、上流域にある治山ダムが、砂利を止めているので、その下流では河床低下を起こし、河岸が崩れ始めているのだが、その河床低下を防ぐ対策として出された案は、上流から流れてくる砂利を堰を設けて止めるというものだ。既に複数の堰があるが、それでも足りないと言って次々に堰が建設されて来たのだ。河川管理者は原因を見極めずに、対症療法的な工事を繰り返すばかりである。

撮影:2004年3月16日
2004年3月16日
砂利を止めるために設置した堰。さらに上流にはいくつもの堰が設けられている。2004年3月16日
砂利を止めるために設置した堰。更に上流には幾つもの堰が設けられている。2004年3月16日
砂利を止めるための堰。2004年3月16日
砂利を止める為の堰。2004年3月16日
同。2004年3月16日
下から見た堰。2004年3月16日

 

堰が敷設された後の現場。2010年12月10日
堰が敷設された7年後の現場。2010年12月10日
大量の砂利が堆積している。流れてくる砂利を止めると考える前提に、砂利がどこから、どのような仕組みで流れてくるかのメカニズムを突き止めてから対策をとることが重要だ。このような対症療法ではいつまでも見せかけの対策を繰り返すばかりで、解決することはない。2010年12月10日
大量の砂利が堆積している。流れてくる砂利を止めると考える前に、砂利がどこから、どのような仕組みで流れてくるかを突き止めてから対策をとることが重要だ。このような見せかけの対症療法では、対策を繰り返すばかりで、解決することはない。2010年12月10日
軍川の下流部。このあたりは微細な砂やシルトが大量に堆積している。増水時には大量の泥水が流れ出している痕跡だ。2010年12月10日
微細な砂やシルトが大量に堆積している。これは増水時に大量の泥水が流れ出していることを示している。2010年12月10日
流れゆく先はラムサール条約指定国定公園の大沼だ。これでは大沼の環境は泥で埋まり改変してゆく。2010年12月10日
流れ着く先は、ラムサール条約指定国定公園の大沼だ。沼は、泥で埋まり改変してゆく。2010年12月10日

 

この砂利はどこから流れてきたのだろうか。2010年12月10日
軍川の中流域。この砂利はどこから流れてきたのだろうか。この場所に「通常砂防工事」として4基の長大な帯工、砂防ダムが建設されることになった。2010年12月10日

軍川の橋の上から川をのぞいてみた。上流側、右岸がコンクリートブロックで補修されていた。川岸が崩れたのである。2010年12月13日左手の川岸(右岸)がコンクリートブロックで補修されている。川岸が崩れたのである。2010年12月13日

微細な砂・シルトの発生源とされる農地を見に行った。確かに畑地を水が流れ、土が流された痕跡はあるが、どの程度の量が流されたのかは分からない。しかし、農地から出るのは微細な砂やシルトであり、川底を押し上げる砂利ではない。また、土の流出は堰では止めることはできないから、発生源で対策を行えばよいことだ。しかし、河川管理者は微細な砂とシルトを止めるとして、農地を買い上げて沈澱できるような巨大な堰をつくった。2010年12月10日微細な砂・シルトの発生源とされる農地を見に行った。確かに畑地を水が流れ、土が流された痕跡はあるが、川に堆積して周りを冠水させる程のものではない。しかも、農地から出るのは微細な砂やシルトであり、川底を押し上げる砂利ではない。更に土の流出は、堰では止めることは出来ないから、発生源で対策を行えば良いことだ。このことは、地元住民からも意見が出ているが、聞き入れられない。河川管理者は、何が何でも原因や対策よりも、ダム建設が絶対なようだ。2010年12月10日

農地を買い上げて沈澱できるような巨大な堰をつくった。2010年12月10日
この農地を買い上げて長大な帯工、砂防ダムを造る。2010年12月10日

長大な堤体の砂防ダム4基が建設された。

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川幅が広げられ4基の長大な帯工、砂防ダムが建設された。川幅を広げても流速が遅くなることはなく、澪筋は偏ることになる。偏った流れによって河床が掘り下がる。2015年04月06日

この4基の帯工砂防ダムは、Google Earthで見ることが出来る。

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長大な堤体の帯工、砂防ダムが4基建設された。川大好き犬の小作も近づかない。「こんなところで遊びたくねェ~!おら嫌だ~、こんなとこ嫌だぁ~…」。2015年04月06日
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堤体の長い帯工、砂防ダムが4基建設された。2015年04月06日
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堤体の長い砂防ダム。2015年04月06日
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堤体の長い砂防ダム。2015年04月06日
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堤体の長い砂防ダム。2015年04月06日
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長大な堤体の砂防ダムが4基建設された。川大好き犬の小作も近づかない。「こんなの川じゃねえ~」…。2015年04月06日

 

この、軍川の上流域に、林野庁北海道森林管理局渡島森林管理署の治山ダムが3基ある。中下流域で起きている河床低下の根源は、ここにある。

「大沼の水と緑を守る会」会長の、北見康二氏と共に現地を視察した。

地図で、渡島森林管理署の治山ダムが上流にある事がわかった。ブヨの群れに襲われながら、ヒグマが徘徊する密林を上り、治山ダムを探した。2011年7月7日
地図を頼りに、ブヨの群れに襲われながら、ヒグマが徘徊する密林を登り、治山ダムを探す。2011年7月7日
治山ダム。昭和37年(1962年)に建設された。
治山ダム。昭和37年(1962年)に建設された。
治山ダムの下流では川岸が垂直の崖になり、河畔林の根元が抜かれ、根っこがむき出しになっていた。
治山ダムの下流では、川岸が垂直の崖になり、河畔林の根元が抜かれ、根が剥き出しになっていた。
治山ダムの下流では微細な砂利が目立つ。中央が下がって低くなっているので、両岸から苔むした石がのめり込むようにズリ出している。
治山ダムの下流では、微細な砂利が目立つ。川の中央が下がって低くなっているので、両岸から苔むした石がのめり込むようにズリ出している。
治山ダムは砂利で満杯になっており、流れ出す砂利の大きさは小さい。
治山ダムは砂利で満杯になっている。流れ下る砂利の大きさは小さい。
川の中央部が下がっており、左右両岸から石が中央にズリ出してきている。苔むした石が少なくなっている。
川の中央部が下がっており、左右両岸から石が崩れ出して来ている。苔むした石が少ない。
苔むした石が前のめりにズリ出し、川岸に段差が出来て、砂利が抜け出している。川底が下がった時の特徴だ。
川の中央部へ向かってV字型に川底が下がり、川岸から苔むした石が崩れ出している。これからも川底が下がり続けると、河岸が崩れて行くようになる。

苔むした石が前のめりにズリ出し、川岸に段差が出来て、砂利が抜け出している。川底が下がった時の特徴だ。

川の中央へ向かって傾斜が出来ている。苔むした石が転げ出し始めている。河岸からも石が抜けている。これらは、川底が下がっている特徴である。川を観察する機会があったら、川岸を見ていただきたい。こうした現象を知ることで、川の健康状態が診断出来る。

治山ダム。昭和52年(1977年)に建設された。
治山ダム。昭和52年(1977年)に建設された。
治山ダムは満杯で、微細な砂やシルトが目立つ。
治山ダムは満杯で、微細な砂やシルトが目立つ。
治山ダムの堆砂域の上流には大きな石が上流へ向かって貯まり続けている。
治山ダムの堆砂域の上流には、大きな石が上流へ向かって貯まり続けている。
治山ダム。昭和54年(1979年)に建設された。堆砂は微細な砂やシルトが目立つ。
治山ダム。昭和54年(1979年)に建設された。堆砂は微細な砂やシルトが目立つ。
治山ダムは砂利で満杯。上流へ向かって砂利が貯まり続けている。
治山ダムは砂利で満杯。上流へ向かって砂利が貯まり続けている。