日本のサケは、カラフトマスとの餌の取り合いに負けて減少した!?

北海道新聞『NPAFC(国際機関=北太平洋遡河性魚類委員会)によると、2001年に9100万匹だったカラフトマスの資源量は、23年に2億9600万匹に増えた。サケは、餌となる小魚や動物プランクトンを巡る競争に負け、餌を食べられずに減少している。帰山雅秀名誉教授は「サケは種間競争を避ける傾向がある。ベーリング海では栄養価が低いクラゲなどを食べている」と指摘する。

URL:秋サケ減少、カラフトマスとの競争が主要因か 北大名誉教授が発表 早期の資源回復難しく:北海道新聞デジタル

URl:日本のサケ、エサ競争でカラフトマスに負け減少 海水温上昇で [北海道]:朝日新聞デジタル

日本のサケの不漁の原因は、ベーリング海でサケとカラフトマスが餌を奪い合い、ここ数十年の間にサケがカラフトマスに負けて数を減らしたというのであれば、地球の長い歴史の尺度に照らしてみれば、サケはとっくの昔にいなくなっているのではないだろうか…?という疑問が拭えない。

では、日本のカラフトマスはどうか…?

実は、日本のカラフトマスもサケ同様に不漁となっている。2024年12月28日付け北海道新聞の見出しには「カラフトマス漁獲最低・前年比7割減」とあり、地元のオホーツク管内斜里町の漁協は「壊滅的な状況。ふ化放流事業や漁の自主規制に協力してきたが、結果につながらない」とコメントが添えられている。ただし、日本のカラフトマスの生活圏は北太平洋で、ベーリング海までは行っていないのだが…

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1106282/

サケの不漁は、「夕方ワイド新潟一番」でも取り上げている。

URL:【特集】なぜ不漁? 海の環境変化か 親しまれている“サケ文化”にも危機!?《新潟》(2024年12月21日掲載)|TeNY NEWS NNN

この特集では、北海道の水産資源研究所・さけます部門・資源生態部・佐藤俊平部長が興味深い説明をされている。

「環境変化などにより、オホーツク海までたどり着けていけるサケの稚魚が以前と比べて少なくなっているかもしれない。うまくたどり着けず、それが日本に帰るサケの資源の減少に繋がっている可能性がある。そういう仮説を立てて調査をしている」という内容だ。つまり、日本のサケ稚魚は、日本からオホーツク海へたどり着く前の段階で、すでに数を減らしているのではないかというのである。この仮説は、現場の河川に照らし合わせれば、納得できるものだ。

北海道南部太平洋側の「遊楽部川」では、毎春、雪解け増水で酷い泥水になる。この泥川に、上流のサケマスふ化場から、サケ稚魚が放流されている。

サケ稚魚は、口から水を吸い込み、エラから吐き出して呼吸をするが、この酷い泥水中の砂粒で繊細なエラ細胞が傷つき、炎症を起こすのは必至だ。

更にサケ稚魚は、酷い泥水の中で体を守るために、体からもエラからも粘液を出して身を守るのだが、この粘液に泥がこびりつき、エラの回りは泥が、ふさふさと纏わりついている。

こんな状況では呼吸は困難だろう。浅いところに逃げ込み、身を横たえ、生き絶え絶えのサケ稚魚たちは、苦しくて空気を吸おうと水面に浮き上がるのだが、それを上空からカモメがついばんでいく。息絶えた稚魚たちもカモメやサギ、カラスに瞬く間に捕食されている。

綺麗な川面を泳ぐ稚魚しか想定できない専門家が、いくら調査しても、こうした現場で数を減らすサケ稚魚の実態は、見えていないのである。

サケマスふ化場の関係者は考えていただきたい。この酷い泥水がふ化場のサケ稚魚がいる養魚池に流れ込んだら、サケ稚魚はどうなるのか…? 全滅…大打撃だと分かる筈だ。それなのに、こんな酷い泥水の中に、ふ化場からサケ稚魚を放流しているのである。

今や、川という川が、酷い泥水が流れるようになっている。川から海へ沿岸沿いに広がり、サケ稚魚たちが旅立っていく先の海までを泥海にしている。知人が、春先に飛行機から見た噴火湾は、川から流れ出た酷い泥水で、海が真っ茶色になっていたと教えてくれた。

こうした状況下、日本のサケ稚魚は母なる川から海へ入り、沿岸沿いに北上し、オホーツク海へと旅立っているのだ。

川から海へ入る時点や日本の沿岸を北上する時点で、すでにサケ稚魚は減少していると考えれば、オホーツク海のサケ稚魚が減少していることは理解できることだろう。そして、減少したサケ稚魚が、オホーツク海からベーリング海へと向かっていく中で、ベーリング海のサケの数は過去に比べたら大幅に減じていると言えるだろう。カラフトマスにとっては、競争相手のサケの数が減っているのだから、今まで以上に餌を採ることができるようになり、数を増やし勢力を増す。これを専門家の目には、餌の奪い合いでサケに勝ったように見えているのではないか。日本の川から海に出たサケ稚魚の数、オホーツク海へたどり着いたサケ稚魚の数、さらにベーリング海へたどり着いたサケ稚魚の数、これらの元になるサケ稚魚の数を把握した上での科学的な見解なら分かるが…

ふ化場関係者や漁業関係者は放流効果が得られないという。かつては回帰率3%と言われ、5%に達したときもあったようだが、現在では、1%をすでに切っているという。その原因は、酷い泥水によって放流サケ稚魚の多くが命を落とし、生残率が低下したことに起因しているのではないだろうか。また、日本のサケ資源を支えるサケは、放流サケよりも自然産卵由来のサケが圧倒的に多く、7割から8割が自然産卵由来のサケ資源だとも言われる。漁獲されるサケの7~8割が自然由来のサケと言うのなら、遊楽部川の場合、自然産卵由来のサケは壊滅状態になっているのだから、激減して当然のことだろう。

産卵直後に撮影した川底に産み落とされたサケの卵。

自然由来のサケが壊滅状態だという理由を説明する。

自然産卵するサケは川底に卵を産み落とす。川底に産み落とされたサケの卵のことを思い描いてみよう。川底の石と石の間に置かれた卵…。卵は生きものだ。生きものは呼吸をする。酸素が必要だ。しかし、卵は身動きできない。でも、卵は酸素をもらわなければならない。

どうやって酸素をもらうのか…?

答えは単純。石と石のすき間を流れてくる水から酸素をもらうのだ。この水の流れがあるから、卵の回りの水が入れ替わり、卵は酸素をもらいながら、新鮮な水に包まれた清潔な環境で健康に育つことができるというわけだ。親がいなくても卵は育つのだ。

この川に備わった「卵を育てる仕組み」に、親サケは我が子の命を託して、一生を終えているのだ。川には「命育む仕組み(専門的には再生産の仕組み)」があるのだ。

酷い泥水のことを考えて見よう。川に酷い泥水が流れても、数日すれば、水はきれいになる。だが、この酷い泥水の痕跡はしっかりと残される。酷い泥水に含まれる砂・微細な砂・泥が川底に沈澱、堆積するのだ。そして、砂・微細な砂・泥は石と石の間のすき間に滑り込み、水の通り道の隙間を塞いでしまう。卵に水が流れてこなくなり、卵は酸素がもらえなくなり、窒息する。

川でサケの産卵を撮影していたが、酷い泥水が繰り返し流れてくるようになり、川底に砂が目立つようになってから、撮影場所に来るサケの数が減り、やがては来なくなった。サケが来なくなった頃には、川底は砂だらけ。川底の石は砂に埋もれるようになっていた。

次の写真を見ていただきたい。1990年代までは下の写真のように、たくさんのサケが遡上し、至るところで産卵していた。

1990年代・遊楽部川・砂蘭部公園立栄橋上流側・白く細長いものはすべてサケ。こんなにたくさんこの場所で産卵していたのだ。

しかし、1980年代後半から、川底が下がり始め、酷い泥水が流れるようになり、河床に砂が目立つようになった。また、根っこ付き流木も大量に流れてきて、海にも流れ出し、ホタテ養殖場などで漁具被害が発生するようにもなった。

酷い泥水が出るようになってから、次第に川の様子にも変化が見られるようになった。川岸から水辺までなだらかだったのに、段差が生じてきた。目に見えて、川底が低下するようになり、あちこちで川岸が崩れるようになった。当然、川岸の立木は土台もろとも川に崩れ落ち、土砂が流れ、根っこ付き流木が流れ出すようになった。川岸が崩れ、川幅は、どんどんと広がっていった。

川底が下がる現象を専門用語で「河床低下」という。河床低下が進行するに従って、水の流れは深く深く堀り下がるようになり、流れが偏り、流勢を増し、浸食力を増大し、さらに川岸が崩れていく。こうして、川岸崩壊は広範囲に広がっていく。河床低下は、深いところでは10mも堀り下がり、もう護岸では手に負えない状況だ。川岸はあちこちで崩れ、崩壊はさらに多発化、崩壊の規模は拡大の一途となってしまった。

下の写真は、上の写真と同じ場所である。右側の川底に敷かれていたコンクリートブロックは、川底が下がって水面が下がった為に、水面から露出し砂利が抜かれて垂れ下がり、強い水流に押され、バラバラになって流された。そして、剥き出しになった川岸は大きくえぐられた。

河床低下は地下水を抜き取る。周辺の地下水位が低下し、川水そのものが減少してきた。一方では、上流で川岸が崩れて流れてきた土砂が、勾配の緩い河床に大量に堆積して盛り上がって陸地化し、樹林化するようになった。水の流れは、更に川底を掘り下げていくので流路は直線化し、流勢を増し、破壊力を増していく。

撮影:2023年10月29日・遊楽部川・砂蘭部公園立栄橋上流側・

下の3枚の写真は同じ場所の川底の写真だ。泥水が流れるようになり、川底に砂が溜まり始めた頃のサケの産卵場だ。川底の石は小ぶりの石になり、砂に埋まるようになった。

泥水が流れるようになってから、砂が目立つようになった。遊楽部川・砂蘭部公園立栄橋下流側・

酷い泥水が、繰り返し繰り返し流れ、川底には砂が溜まり続け、砂場と化した。サケが産卵の為に川底を掘っても、「アリ地獄」のように、砂が滑り込み、卵を産み落とす隙間をつくることができなくなった。サケは、止むなく砂の中に産卵する。砂に埋もれた卵は育つはずもない。

酷い泥水は繰り返し流れ、サケの産卵場は泥の川底になってしまった。そして、産卵にくるサケはいなくなってきた。

撮影:2025年1月3日。遊楽部川・砂蘭部公園立栄橋下流側・

こうして、サケの卵が育つ仕組みが壊され、自然産卵由来のサケ資源は枯れてしまい、壊滅状態になった。

八雲町では、教育委員会が毎年、サケの産卵とサケ稚魚の観察会を開催している。2024年の昨年と2025年の今年の観察会では、前年に、たくさんのサケが産卵していたのに、春先にサケ稚魚を見ることができなくなった。驚きだ。

秋に遊楽部川の上流ではたくさんのサケが産卵していた。  撮影:2024年11月07日
サケ稚魚の観察会では、サケ稚魚が1尾も見られなかった場所。川底全体が泥を被ったようになっている。                   撮影:2025年4月8日
川底がどうなっているのか、水中をのぞいてみた。      撮影:2025年4月1日
川底の石は泥を被り、砂泥にはまり込んだように埋まっている。これでは石と石のすき間などできるハズが無い。産み落とされたサケの卵は全部が窒息してしまったのだろう。                          撮影:2025年4月1日

写真のように、自然産卵のサケの卵は、卵の時点で育たなくなっている。放流されたサケ稚魚も、酷い泥水の川で命を落とし、さらに沿岸海域の酷い泥海の中でも多くが命を落としていると考えれば、生き延びた者だけが日本を旅立ち、オホーツク海へと向かっているようなものだ。

新聞は、泥水に触れず、現場の真実を錯誤させかねない専門家の解説報道ばかりである。マスコミ報道人は、専門家の発言だからといって安易に鵜呑みにして記事にしてはいけない。そして、漁業者も私たち消費者も、いかに専門家の発言であっても、現場で起きている観察こそが真実を知ることなのだと、気がついていただきたい。

泥水が流れ出さない川の川底には砂や泥はない。これが健全な、本来の川なのである。               撮影:2025年

上の写真を見ていただきたい。川底の石は石肌がきれいに出ている。回りには砂も泥もない。これが健全な「再生産の機能ある川」なのである。だから、魚がたくさんいるのだ。サケ稚魚が見られなかった川底と比べて見ていただきたい。

サケが減少した原因が泥水にあっても、ベーリング海とは異なる海域を利用する日本のカラフトマスが減少していることについても、専門家は行政に背くことのないように、地球温暖化説や餌の取り合いに負けたなどと、改善しようのない話ばかり唱える。ダムや河川事業が引き起こす泥水の影響に触れ、改善策について言及しなければ、日本のサケ資源は終わりである。

 

 

 

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