北海道南部、渡島半島の八雲町を流れ、太平洋の噴火湾に注ぐ「遊楽部川」は、治山ダムと砂防ダムの下流域で河床低下が著しく進行し、どこもかしこも川岸の崩壊が見られ、川岸が垂直に崖化し、大きな増水があれば容易に川岸が崩壊する事態を迎えている。
河床低下は、川岸の立木の根元の土台をも崩壊させ、立木は川に倒れ込み、根っこ付きの流木となる。
遊楽部川支流の砂蘭部川でも河床低下は著しく、川岸の大規模な崩壊グランドキャニオン化が見られている。
支流の鉛川でも川岸崩壊が各所で見られている。
同じく遊楽部川支流のペンケルペシュペ川へ入域すると、町道が通行止めになっていた。町道は崩壊し、歩く道幅さえも無くなっていた。
ドローンで町道崩壊の全容を空撮した。ここでよく見ていただきたいのは、崩壊した町道の下部だ。
崩壊した町道の下部は、水流を受けて浸食され、えぐれて窪んでいる。また、埋まっていた玉石が流れ出し、搔き出されている。
子どもの頃に、砂場で遊んだ「砂山くずし」を思い浮かべていただきたい。砂山の下部の砂を手ですくい取っていくと、ある時、砂がドサッと崩れ落ちてくる。これと全く同じ原理で、道路の下部が水流で浸食され、えぐられた窪みが広がってくると、上部の土は基礎を失い、重さに耐えかねて、上からドサッと剥がれ落ち、崩落面は垂直になると言う訳である。これが河床低下の深刻さであり、怖ろしさである。
「河床低下」が発生していない川では、増水時には100来た水量が氾濫原に溢れ出すので、下流へ流れ出す水量を100よりも少なく低減させる効果があるが、河床低下が進行している川では、もはや氾濫原まで水位が達せず、氾濫原に流れ出さなくなっている。つまり、水量の低減効果(いわゆる遊水池効果)を失い、100来た水量をそのまま下流に流すことになる。ということは、今まで以上の水量が下流に押し寄せることになり、堤防越流の危険性が増すことになる。
河床低下が進行し、集水能力が高まった上に、川岸崩壊が至るところで見られている遊楽部川では、想定外の大雨があれば、大増水し、あっちこっちで川岸が崩れ、土砂流木が流れ出し、甚大な水害が発生することになるだろう。これは何も遊楽部川に限ったことでは無い。野田追川、落部川、見市川などなど、近隣の川も、全道の川も、全国の川も、まったく同じような危機に直面していると言えよう。
土木関係の河川災害の報告を見ても、治山ダムや砂防ダムが土砂・流木を発生しやすくしている視点で検証した事例は皆無である。科学は恣意的に運用されたのでは歪んでしまう。その歪みが今の川の姿として現れていると言えよう。
河川事業にも自然環境保全の思想が取り入れられるようになっては来たが、自然保護、環境教育、自然環境保全、生物多様性保全…あまたの言葉が生み出されるばかりで、何一つ効果を上げたものは無いのではないだろうか?また、近年はSDG’sなる言葉が創り出されているが、そもそもが、何に留意して取り組めばよいのか、誰も解っていないのではないだろうか?新たなる言葉ばかりを創作して、さも、自然環境の保全に取り組んでいるかのように錯覚し、思い込んでいるのではないだろうか?
河川事業者や学者、学生諸子、自然に携わる私たちも、※iRICソルバーなど技術に頼る前に、自分の目で、足で、汗をかき、自然に向き合い、しっかりと観察する最も基本となるフィールドワークをこそ、実践しなければならない。
川のことは魚に聞け、山のことは木に聞け、磯焼けは海藻に聞け…と。
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