八木川
八木川が注ぐ沿岸は昆布漁場となっている。この川にも沢山の治山ダムが建設されている。川底は下がり、各所で川岸の崩壊が見られる。雨で川が増水すると、酷い泥水が流れ出し、沿岸の海は茶色に染まる。
こういった原因はどこにあるのか?
地元住民には、「大雨のせいです。近年はゲリラ豪雨もありますから」と河川管理者や森林管理者が説明し、地元住民から「泥水が出ないようにして欲しい」という一言を引き出す。そして莫大な税金を投入した事業が、地元からの要望というかたちで、砂防事業や治山事業が次々に興される。
かくしてダムが建設されるわけだが、いざダムが建設されてしまうと、地元住民からはこんな声が聞かれるのだ。
「前より酷くなったべ」。
治水や防災のことは専門用語がならび、理解しにくいから、ダム建設の話しに疑問も持たず、感心も示さないでいると、「治水・防災のため」だと思い込んでいた事業が、実は、更なる災害を生み出したり、漁業資源を失うことだったりするわけで、そうなれば、深刻化して、取り返しがつかない事態を招くことになるのである。
川には常に砂利が流れている。川底の砂利は流されては補われ、川底が掘り下がらないように絶妙なバランスで川底の砂利は維持されているのだ。砂防ダムや治山ダムで砂利が止められると、その下流では砂利が流されっ放しになり、川底が下がる。そうすると川岸が崩れたり、た山の斜面が崩れるようになり、そこから大量の土砂(微細な砂やシルト)が流れ出すようになり、川は泥水が流れるようになるのだ。
「泥水が出ないようにして欲しい」という一言を受けて行われる砂防事業や治山事業が、実際には更なる泥水を発生させる原因になっているのだ。
地元の漁師たちは前浜の水産資源を失う前に、川の現場をしっかりと確かめた上で対応していただきたい。
辿って見た川は、川底が下がり、どこも川岸が崩れている。
写真をご覧のとおり、川幅が広いのに水の流れが偏っている。その理由は何かを聞いてみた。
北海道大学の砂防学専門の教授は「ダムが放水量を調節するようになったので、下流で攪乱が発生しなくなって安定したために樹林化し、樹林化したことで澪筋(水の流れる道すじ)が固定される」と説明している。
もう一度、写真をよく見ていただきたい。樹林化していない。しかもこのダムは放水量調節機能を持っていない砂防ダムである。
では放水量の調整機能を持たない治山や砂防ダムの下流でも澪筋が偏っているわけだから、この現場を一体どのように説明するのだろうか…?
大学教授や専門家から、こうした河床低下の説明をどこかの現場やシンポ会場などで聞いたら、是非、質問をして、聞いてみてください。
ダムの下流では砂利の供給が断たれ、川底の砂利は持ち去られる一方になる。川底は掘り下がるからその結果、水の流れが偏っているんじゃないのですか?と。
この治山ダムには幅の広い魚道が取り付けられている。魚類の専門家ならず、自然保護団体までもが、これで「良し」としていることがある。
魚道は付けられているが、砂利を止める機能に変わりはない。ダムは川底の砂利の粒径を変え、湧水や伏流水の流れ方まで変える。渓流に棲む魚たちは川底に卵を産み、砂利や水流のバランスの仕組みの中で卵が育つようになっている。そのバランスを壊しておいたまま、魚道を付ければ魚へ配慮したということにはならない。こうした魚道づくりは、ダムを温存させることになるから、魚の生活圏を破壊する行為に加担していることになる。自然保護に取り組む人たちは、「魚道」が良いものだと勘違いしないよう、現場をしっかりと見て、その川の仕組みを知り、真実はどうなのかを見極めていただきたい。
ダムを一つ建設すれば、その下流で川底が下がって岸が崩れ、山が崩れ、災害が多発するようになる。その災害が災害復旧事業を創出して、国民の血税を使う。これが繰り返されているのだ。単なる事業興しのための防災工事ではないのか。国費や道費を得て人が肥える一方で、川は痩せるばかりだ。