沙流川水系額平川
額平川は二風谷ダムの流入部で沙流川に合流している。大量の砂利が流れ続けている川である。
二風谷ダムの流入部の「貯砂ダム」。水は左から右に流れている。右手が二風谷ダムの湛水域。しかし、ご覧の通り、貯砂ダムを乗り越えた砂利で二風谷ダムはほぼ埋まっている。
二風谷ダムの流入部には砂利が流れ込まないように砂利止めの「貯砂ダム」があるが、すでに満杯になり、流れてきた砂利は貯砂ダムを乗り越えて二風谷ダムに流れ込み、二風谷ダムをほぼ埋め尽くしている。二風谷ダムには額平川からも大量に砂利が流れ込んでいる。国道237号線の額平川に架かる額平橋から前後を見れば、額平川が大量の砂利で川幅が異常なほどに広がっていることが分かる。異常な光景であることを知っていただきたい。
額平橋から下流側、橋のところにある貯砂ダム方向を見る。右手で沙流川本流と合流している。ご覧のように膨大な砂利が溜まり続けており、川幅はどんどん広がっている。河川管理者はいったいどうするというのだろうか…?
額平橋から額平川の上流を見る。海に流れ込む河口と見間違うほどに細かい砂利が大量に溜まり、川幅が大規模に広がっている。これが川の上流部の景観なのだ。あり得ない異常な光景だ。気になるのは、細かい砂とシルトの多さだ。増水したら、巻き上げられて流れ出すことになる。
これだけ砂利移動が激しい額平川の上流に、今、平取ダムの建設が粛々と進められている。移動する砂利の量の多さを河川管理者はどのように評価しているのだろうか。また、平取ダム建設に関わった砂防学や河川工学に長けた大学教授や科学者と称する人たちはどのような判断で平取ダムの建設を認めたのだろうか…?
清流・沙流川は流域にたくさん建設されている大小のダムの影響が強く現れ、それが加速しているのだ。
沙流川はもともとは「清流」だったのだ。それなのになぜ泥川になってしまったのか…? ここをひも解いて行くことで、河川管理のあり方が見えてくるハズなのだが…それをしていないのだ。
額平川を少し上って行くと農業用の橋がある。橋脚の基礎がむき出しになっている。周りの石は小ぶりのものと砂ばかりが目立つ。2013年5月18日
同じ場所の1年後。2014年5月19日
この橋の下流側。護岸ブロックが前のめりに崩れている。
コンクリートブロックを見ると前のめりに崩れている。元々川底に敷き詰められていた床固工なのだ。
橋の上流側。コンクリートブロックが抜けている。川底の砂利が抜かれて前のめりになり、崩れている。川の砂利は砂と小さいものばかりだ。2013年5月18日
同じ場所の1年後の姿。川底が堀下がり、水面が下がっていることが分かる。少しずつ、少しずつ川底の低下は進行して、あるとき、どかっと崩れるのだ。2014年5月19日
橋から上流を見る。大量の砂利が流れてきては溜まっていることが読み取れる。また、川底が下がっているので、溜まっては流され、流されては溜まる…これが繰り返されているのだろう。砂と小ぶりの石ばかりである。2013年5月18日
同じ場所の1年後。大きな石は見当たらず、小ぶりな石と砂とシルト分が目立つ。2014年5月19日
上流の貫気別川との合流点の下手に設置されている頭首工が見える。川幅が異常に広い。
荷負の市街地を抜けると額平川に架かる「貫気別橋」がある。
![2013-06-03・加工済・額平川・DSC_0318](http://protectingecology.org/wp/wp-content/uploads/2014/10/2013-06-03・加工済・額平川・DSC_0318.jpg)
貫気別橋から額平川の上流を見る。大量の砂利が溜まっており、川幅が広がっている。
貫気別橋の下流側。農業用頭首工が見える。頭首工のために、砂利が止められ、大量に堆積し続けているのだ。また、石が非常に小さいし、砂やシルトが目立つ。
貫気別川との合流点のすぐ下流にある古い頭首工。砂利を大量に止めていることから、貫気別川の農業用取水堰が砂利で埋まってしまうので困っているとのことだ。2003年8月9~10日未明にかけての台風10による大雨で増水した額平川及び貫気別川から大量の砂利と流木が流れつき、荷負地区の集落が住宅が流されるなどの洪水被害が発生した。
この荷負本村頭首工は昭和39年(1964年)3月に竣工とある。
この頭首工は近々撤去するという話も聞いている。
頭首工の上流側はこの頭首工が止めている砂利が上流へ向かって溜まり続けている。
頭首工の上流側は水位が上昇するので、川岸を浸食する。崩されては補修を繰り返してきたのだろう。
頭首工の脇に、水神様が祀られていた。
水神様は水の流れのわきで、額平川と貫気別川の悲鳴を聴き、河川管理に関わった学者・専門からの真の姿を見抜いていることだろう。
荷負市街地から少し上流へ行ったところにも頭首工があった。
ここにも水神様が祀られていた。
頭首工の下流側は川底が下がり、川岸が崩れている。川底に敷き詰めていたコンクリートブロックの床固工も、砂利が抜かれて傾き、めくられている。
頭首工の下流側では川底が下がり、川岸が崩れ、川幅が広がっている。
一方、頭首工の上流側は砂利が溜まり、水面が上昇するので、川岸が浸食されて崩れている。
川岸の下部に水流が当たって浸食するので、砂山崩しのようにドサッと崩れ落ちるようになる。
この上流の宿主別川と合流する直下に「平取ダム」の建設が進められている。しかし…平取ダム建設に疑問の声も上がっているのだ。
二風谷ダム横の国道237号線には平取ダム建設に疑問を投げかける横断幕が張られていた。2006年8月22日
同国道237号線にダムはムダの横断幕があった。2006年8月22日
地元住民は声を上げて異論を述べられない。身を犠牲にして訴える地元の人たちが掲げる看板は悲痛な叫び声だ。今、まさにこの場所で平取ダム建設のための工事が粛々と進められているのだ。2003年4月25日
平取ダム建設現場では工事が進められている。2013年11月12日
平取ダム建設のために重機が通る工事用道路が開削されていた。
平取ダム予定地の上流側を見る。左が額平川、右が宿主別川だ。
右側の張り出した山は掘削されて取り除かれる。アイヌの聖地の対岸の地形がいとも簡単に破壊されてしまうのだ。
アイヌの人たちの聖地であるチノミシリに穴を開けてボーリング調査が行われた。その際に設置された吊り橋だ。
吊り橋とボーリング調査の階段とトンネルが残されている。
アイヌの聖地チノミシリの岩に穴が開けられ、ボーリング調査が行われてきた。
![2013-11-12・加工済・額平川・平取ダム工事現場・DSC_0316](http://protectingecology.org/wp/wp-content/uploads/2014/10/2013-11-12・加工済・額平川・平取ダム工事現場・DSC_0316.jpg)
平取ダム建設現場を見る。手前から向こうに水は流れている。2013年11月12日
![2013-11-12・加工済・額平川・平取ダム工事現場・DSC_0320](http://protectingecology.org/wp/wp-content/uploads/2014/10/2013-11-12・加工済・額平川・平取ダム工事現場・DSC_0320.jpg)
額平川と宿主別川の合流点。平取ダムはこのすぐ下流に建設される予定。向こうが額平川で、手前が宿主別川。よく見ていただきたい。特に宿主別川から大量の砂利が流れてきているのがお分かりいただけると思う。額平川からも大量の砂利が流れてきている。その砂利が集まるところに、「穴あきダム」を建設するのだ。
平取ダム完成後に流れ込む砂利は、小ぶりの石と微細な砂とシルト分が異常に多くなるだろう。それに加えて、根っこつきの流木を含め、有機物も流れ込む。完成後の暁に大洪水に見舞われた時にはどういうことが起こるのだろうか…?
平取ダムの構造図が下記に公表されていた。
http://www.mr.hkd.mlit.go.jp/mrken_works/chisui/biratoridam_kentou/houkoku/pdf/genan_3.pdf
堤長600m、堤高56.5mの堤体設計図には「非洪水期用常用洪水吐き」ゲート、「洪水期用常用洪水吐き」ゲート、そして、ダムの底に位置に「融雪期用放流設備」ゲートの絵が描かれている。
砂利移動の量が異常に多くなったことを知った上でこの場所に平取ダムを建設しようとしたのだろうか。流れ出してくる砂利の量は2003年8月以降は「異常な量」になっているわけだから、二風谷ダム建設時と同様に少なく見積もっているのではないだろうか。額平川や宿主別川を甘く見ているようで、現場の川を全く読めていないのではなかろうか。
2ダム1事業として平取ダムが認可されたのだから、行政の事情と行政の手順だけで平取ダムの建設が進められてきたとすれば、今後にとんでもない事態を招き、将来に禍根を残すことになるだろう。
学者、技術者、大学教授らは地元で何が起きるかということは全く関係ない立場にある。ダム建設後に何が起きるかは問題ではなく、事態が動き、いろいろなことが起きれば、それが問題だろうが、なかろうが、自分の研究分野の必要なデータは集まるわけだから、それで十分なのだ。データが集まればそれだけ手柄が得られるだけのことだ。そうした視点で学者、技術者、大学教授らが平取ダム着工の裏支えをしていると考えればきっと見えてくるモノがあるだろう。
地元の住民のことなど知ったこっちゃないし、関係ないこと、また、川がどうなろうとも関係ないことなのである。無責任極まる人たちが自分のデータを得るためだけの目的で、人々が暮らしている地元に土足で上がり込んできて利用しているだけなのである。そう、感じてならないのだ。
八雲町の遊楽部川支流砂蘭部川に関わる大学教授らの話しから、そう見えてきた。砂蘭部川の対応から、専門家、技術者、大学教授らは、データを得ることだけを目的にしている人たちであると確信をした。
平取ダム予定地の少し上流の豊糠橋。2013年6月18日
豊糠橋のたもとから下流側を見る。右側の川岸は崩れ続けており、右側へ川岸が後退しているのだ。2013年6月18日
河畔林が密生していたのだが、川岸が崩れてほとんどが流されてしまった。2013年6月18日
大きな石がたくさん見られていた。こうした石が現在では全く見当たらなくなっているのだ。2003年4月25日
豊糠橋の上流側。川岸が崩れ続けており、川幅が異常に広がっている。2013年6月18日
豊糠橋の下流側。当時は、大きな石が多かった。砂は粗かったし、シルト分はきわめて少なかった。2003年4月25日
河原の石は今よりは大きなものが目立っていた。橋台・橋脚には色のムラがあり、橋台は砂利で埋まっていたのだとう。橋脚の色のムラから、2003年当時でも水面がかなり下がっていることが読み取れるだろう。確実に河床低下が進行していたことが読み取れるだろう。2003年4月25日
河原の石は小ぶりなモノばかりである。また、砂やシルトが目立つ。これは上流で川岸が崩れ続けていることを示している。また、石が小ぶりなのは上流にダムがあることを示唆している。2013年6月18日
大きな石は見当たらす、小ぶりな石と微細な砂とシルトばかりが異常に多い。川岸の崩壊や山の斜面の崩壊を窺わせているのだが…2013年6月18日
少し前までは、砂やシルト分は少なく、大きな石がごろごろしていた。こうした大きな石が現在では全く見当たらなくなったのだ。2003年4月25日
さらに上流へ行ってみた。2013年6月18日
異常に河床が下がっており、左手は浸食が進み、浸食された基部には砂利がこぼれだしているのが見える。まだまだ崩れ続けるわけだから、さらに大量の砂利が下流へと流れ出していく。2013年6月18日
右側の川岸が崩され続けており、川幅が広がっている。2013年6月18日
この橋の下流側、右手のコンクリート連結ブロックの護岸は基礎が抜かれて、ブロックの後ろの砂利も抜かれてベコベコになっている。川底が下がっているときに見られる被災だ。2013年6月18日
額平川は河床低下が進行しているので、川岸や川に面した山の斜面の崩壊が続いている。大雨の増水時には大量の土砂とおびただしい量の流木が流れ出してくることが予測できる。平取ダムの着工を容認した専門家や科学者らはこうした現場を読めているのだろうか…?
いやいや、読めていなくても良いのだ。なぜなら、彼らはどうなろうが、新しいデータが得られるので、十分手柄をてにすることができるのだ。
額平川や宿主別川が今までの川とは事情が違ってきていることを読めていなくても、手痛い大災害を被っても、彼らには関係ないことなのだ。困るのは地元であって、専門家や科学者らは、今まで得られなかった新たなデータを得られるから御の字なのである。
このことに地元の人たちは気がつくべきだ。そして、平取ダムの建設は即刻取りやめるように働きかけ、また、沙流川流域の住民が一丸となって二風谷ダムや岩知志ダムを撤去すべきだ。