床丹川

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日本海に注ぐ川で、苔むした石が見られる「原始の川」が残っている貴重な川だ。緑豊かな鬱蒼とした谷川には、昔懐かしい清流と人の暮らしが、今なお息づいている。床丹川の全流域を、北海道の文化遺産として後世に伝えて欲しいと思うほどである。

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川が安定しているので、川沿いに家があり、橋が家の門構えになっている。昔は、こんな風景がよく見られた。
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谷川には生活の臭いがある。玄関先から川にすぐに下りられる。そこで米をとぎ、野菜を洗う。大人も、子どもも水に親しみ、水に遊ぶ。昔懐かしい風景だ。この風景こそが「親水」である。
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私たちも、トマトを冷やし利用させてもらった。子供の頃は、こんなことも当たり前だった。
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石を積み上げただけの川岸。これが維持されていることが意味することを、考えてほしい。

近い将来、荒廃させてしまった川を、復元する取り組みが行われるようになれば、原始の川を知る指標となるだろう。

そこに、4基の治山ダムを建設する話が浮上した。上流の山斜面が大規模に崩壊すれば、土石流が発生して危険だから流域に暮らす住民の生命・財産を守るために治山ダムが必要だという。下の写真がその崩壊箇所である。

左岸の山の斜面が崩れている。規模は小さい。
左岸の山斜面が崩れている。規模は小さい。

この崩壊が、本当に人命・財産に及ぶ影響を与えるのだろうか?

この川には、ダムが一つも無いので、川底が下がる河床低下の現象は見られていない。河床は安定しており、挟まりあった巨石が流出するようなことも考えられない。また、流域は樹林化した広い氾濫原があり、この氾濫厳が下流の人の暮らしを守っている。たとえ土砂や流木が流れてきてもこの氾濫原が受け止めてくれるからだ。そして、何よりもここに暮らしてきた流域集落の人々は、「ダムは要らない」と言っているのだ。

川岸と川底の落差は小さいので、増水すれば氾濫原に水が溢れ出し、巨石や流木は氾濫原の樹林に補足されてしまう。
川岸と川底の落差は小さいので、増水しても氾濫原に水が溢れ出し、巨石や流木は氾濫原の樹林に補足される。

その後、北海道の森と川を語る会、北海道自然保護協会などの団体の呼びかけで、行政担当者による現地説明会が開かれた。

治山の担当者が「治山ダムの堤体は、川底と同じレベルに設置するので河床への影響は無い」と説明した。「治山ダムを境にして流速が変わるのか?」と問うと、「流速は変わる」と返答。「流速が変わるのなら、砂利の移動も変わるので、その差分が生じれば、段差が出来るではないのか?」と質問。「段差は出来ない」と返答した。しかし、暫くして段差が生じることを認めた。

このことは、とても重要なことである。「流速が変わる」ということは、「砂利の運搬量や運搬する砂利の大きさも変わる」ので、治山ダムの影響は、必ず現れる。(詳しくはダムの仕組みを参考にしてください) その後、治山ダム建設計画は中止になった。

この川の良さを、写真を見ながら考えてみてください。とても重要なことを教えてくれるはずです。

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川岸の石組護岸。石を積み上げただけの簡単な護岸だ。
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すこし粋を凝らした石積み護岸。それでも石を積み上げただけの簡単な護岸である。

あちらこちらの川で、コンクリートで強固に作られた護岸が、少し増水しただけで、いとも簡単に崩壊しているというのに、こんな石を積み上げただけの護岸が、何故、壊れないのか?

コンクリート護岸は、基礎が抜かれて倒壊する。その理由は川底が下がるからだ。川底が下がる川だから、川岸が崩れないようにコンクリートで固めるわけだ。床丹川にはダムが無い。したがって、川底が下がるような現象は発生しない。だから、簡単な石積み護岸でも基礎が抜かれて壊れることは無い。昔も今も尚、この石積み護岸が川の安定度を語っている。

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小作も嬉し楽し~こんな良い川見たことねェ~!
苔むした石。安定した川の証。こうした川を清流と呼ぶのだ。水質だけの判断は誤りだ。
苔むした石。安定した川の証。こうした川を清流と呼ぶのだ。水質だけの判断は誤りだ。

全国で、国土交通省や環境省が清流コンテストを行って、清流河川が発表されている。水質だけで川を評価する方式は、東京都の多摩川や埼玉県の綾瀬川などのドブ河川の水質を少しでも改善しようと、意識改革のために始まったものだ。それが、今や全国の河川の評価に誤用されてしまっている。「おらが町の川が、日本一の清流になった」などと、喜び、浮かれている隙に、原始の川を失うことになっているのが現実だ。そのことに、気が付いていただきたい。

私たちスタッフは、時々、床丹川に遊びに行く。川原で遊ぶ帰省した若者や子供たちとも交流する。一人の笑顔の優しいお爺さんが、話してくれた。「すぐ隣の集落にある川も、ここと同んなじような川じゃったが、ダム作らせてしもたんじゃ。もう、川はグチャグチャになってしもたわ」と。