人と共存しているヒグマまで捕殺。北海道の「人材育成捕獲」

11月8日付けの北海道新聞に「人材育成捕獲」来春拡充の見だしで、北海道がヒグマの捕獲頭数を増やすことが報道された。主たる目的はハンター不足の歯止めにあるようだが、目的の一つとして「冬眠明けのクマに人への警戒感を植え付ければ、人里に出没しにくくなる」という理由が掲げられている。つまり、こうした捕獲を行えば、ヒグマは警戒心を持ち、人里に出没しにくくなるというのだ。

出典:2022年11月8日付北海道新聞

捕獲拡充目的に「ヒグマに人への警戒心を持たす…」と掲げながら、「人への警戒心を持ったヒグマたち」まで次から次に捕獲するのだから、北海道の理念は、もうメチャクチャだ。

北海道のヒグマ対策は驚くほどに、おかしなことだらけだ。

出没中のヒグマの「個体識別が必要だ」として、芳香剤でヒグマを誘引してビデオ撮影している。更に、餌でおびき寄せて体毛採取し、DNA分析することを最優先している。

ここが重要な問題点だ。

これらのデータを収集している間、ヒグマは人里周辺で自由に徘徊できる状態にある。ヒグマは学習能力に優れているから、その間に様々なことを学習して居座るようになる。その結果、手の施しようが無くなり、真駒内や野幌の事例にように、捕殺される。捕殺したヒグマは、画像データやDNAデータに現物と添えて、学術データとして収集される。こうして得たデータがヒグマ出没抑止に役立つのか…?役立っているのか…?個体識別を優先し、のさばらせた挙句に、手に負えなくなって捕殺した際、「あの時に出没していたヒグマだ」と確認する程度で、その他は研究者の成果品となる。こうした視点で北海道のヒグマ対策を読み解けば、道民の安心安全な暮らしそっちのけで、研究目的や学位論文作成のために莫大な道民の血税を使い、データ収集している姿が見えてくる。

出典:2022年11月21日・北海道新聞web版・牛65頭襲ったヒグマ「OSO18(オソ18)」

標茶町の「OSO18」と名付けられたヒグマの対応についても、未だビデオ撮影して個体を確認することに奔走している。ビデオ撮影できるくらいなのだから、凡その予測された行動範囲や出没経路で、出没抑止できる筈だ。即ち、出没を抑止する対策を最優先させることこそが、適切なヒグマ対策というものであろう。そうした適切な対応を行わず、今なお放置したままで、ビデオ撮影を続けているのだから、おかしなことだ。

ヒグマ対策の実績は、30年も40年もある。それなのに、未だにヒグマ騒ぎは終息しない。道民の暮らしは危険にさらされ続けている。それはつまり、ヒグマ出没対策の名の下に、調査研究ばかりを行ってきたからに他ならない。頭数を減らせば出没件数が減少するという安易な引き算で、無差別捕殺に踏みきり、誤魔化しているに過ぎない。

人里へ出没させないようにするには、まず、人里への出没情報を得た時点で、ハンターなどヒグマをよく知る熟練者が、「即時に現地へ出向き」➡「出没経路周辺を”電気柵で一時的に”封鎖し」➡「出没抑止の対策をやる」ことだ。これを繰り返せば良いだけのことである。ヒグマ「この辺りは居てはいけない」ことを学習させまで、出没状況に合わせて電気柵の設置と撤去を繰り返し、人里との境界線をヒグマに教えればよいのだ。電気柵は草が生えるので、維持するのが大変だという意見もあるが、常設させる訳ではないので、草刈りは不要だ。そもそも、どんなに手間暇がかかろうが、ヒグマを殺さないようにする為の予算も取らず、出没抑止の為に労力を惜しまない専門家がいないとは情けない話だ。

北海道にはどこにでもヒグマがいる。そこで暮らしている人たちは、回りにいるヒグマが特に悪さをしなければ捕殺しない。むしろ、悪さをしないヒグマがいた方が、「流れ者のヒグマを寄せ付けないので安全だ」という考え方だ。言い換えれば、毒には毒をもって制す。つまり、人間の暮らしをヒグマから守るために、気心知れたヒグマをガードマンに雇っているということだ。

知床半島ルシャ地区の漁師の番屋では、番屋の回りに沢山のヒグマが徘徊している。ヒグマたちは悪さをすることもなく、番屋の暮らしに何らの支障はない。ここのヒグマたちは何をすれば人が嫌がるかをわきまえ、人との軋轢を避けている。このようなヒグマを北海道の方針通りに次々に捕殺したらどうなるだろう…?縄張りが空き、そこに得体のしれない新参者のヒグマが入り込んでくる。そうなれば、番屋の暮らしはどうなるだろうか…?番屋の暮らしも知らない新参者のヒグマが入り込めば、漁師は危険にさらされることは目に見えている。安泰な番屋の暮らしは一気に崩れ、毎日が不安の日々となる。

言わばこれと同じようなことを、北海道は来春から全道で行おうとしている。この計画の危険性と問題点は、「人への警戒心を持ち、人里に出没しないようにしているヒグマまで捕獲して、人への警戒心を持たない、人里に出没するヒグマの出現を生み出す」ことにあるのだ。「人への警戒心を持ち、人里へ出没しないようにしているヒグマを残し、そうした個体を増やして行く」というのが、本当のヒグマ対策であり、北海道がよく言う「共存」というものであろう。

今回の北海道の「人材育成捕獲」は、道民の暮らしを危険にさらし続けるだけのものである。「人材育成」にかこつけ、善良なヒグマまで撲殺するような行為は見直すべきだ。即刻に、計画を白紙に戻し、ヒグマという動物がどんな動物なのか、今一度考えていただきたい。学位を持つ専門家がいながら、基礎的な知識に欠けているのでは、恥ずかしいし、学位が泣くというものだ。30年も、40年も、莫大な道民の血税を費やして、いったい何を調査研究してきたというのか。人里に出没してはいけない事を学習したヒグマかどうかを見極めることは簡単だ。もし、それは難しいと言う専門家がいるとすれば、基本中の基本、ヒグマとはどういう動物なのかを読み解く目と心が欠如しているからである。せめて、テクノロジーに一切頼らず自力で山に入り、ヒグマを見つけ、自分の目で目の前のヒグマをじっくりと観察するべきだ。

ヒグマを撃つ「人材育成」ではなくて、ヒグマの行動を読み取れる人材育成をこそ考えることが、最も必要な方針だろう。

 

鵡川のシシャモ、過去最低1.4トンから僅か64㎏に。

「鵡川と言えばシシャモ。シシャモと言えば鵡川」というほどに有名なシシャモの産地が記録的な不漁だ。

道立総合研究機構栽培水試(室蘭)は、「昨夏の高い海水温の影響で多くが稚魚段階で死んだ」と分析。本当だろうか…?道南の太平洋側、八雲町の遊楽部川には分布の南限とするシシャモがいた。しかし、2005年頃には姿を消し、絶滅。大繁殖から絶滅までの経緯を、その現場を見てきた者としては、この水試の見解は疑問だ。

遊楽部川のシシャモ絶滅原因の最初の一歩は、河川事業でシシャモの大産卵場が壊され、資源量を減らすことにはなったが、絶滅の主因ではない。シシャモの卵は湧水に抱かれて育ち、早春に孵化した稚魚は川から海へ下り、沿岸で生活を始める。しかし、春先の雪解け増水の酷い泥水を吸わされた稚魚たちの多くが命を落とし、絶滅に至ったの真相だ。それ以外の要因はない。

産卵場のシシャモの群。産卵場は粗い砂礫だ。シルト分や微細砂は無い。

シシャモが産卵する川底の砂礫はシルト分や微細な砂は見られず、さらさらとした「粗い礫」となっている。しかも、川底から湧水が出ている場所だ。ところが、遊楽部川には治山ダムや砂防ダムが数多くあり砂利が止められているため、ダムの下流は川底の砂利が流され、川底がどんどん堀下がった。その上、湧水が豊富なので、噴き出す川底は容易に掘り下がるから、川岸、護岸も崩れて災害が多発。河川管理者は護岸を守るために、このシシャモの大産卵場に袋体床固工(漁網に石を詰め込んだもの)を敷き詰めて、産卵できなくしてしまったのである。主たる産卵場を失ったシシャモは、それでもかろうじて別の場所で産卵していたが、あちこっちで崩れた川岸から流れ出す酷い泥水の影響を受け、息の根を止められてしまったのである。

河川事業で、シシャモの産卵場は袋体床固工で覆われ、消滅した。

この酷い泥水を抑止しなければシシャモ資源は残せない。シシャモ資源を残すために道立水産孵化場に調査を依頼したものの、残念ながら2005年にはシシャモの姿が見えなくなり、シシャモ資源の保全策の提言もされぬまま、調査は打ち切り。かくして、遊楽部川のシシャモは絶滅したのである。

遊楽部川のシシャモ調査。見えるのはJR橋。
調査で捕獲された遊楽部川のシシャモ。

鵡川のシシャモの不漁の原因は、遊楽部川のシシャモ絶滅の経緯から、酷い濁り水であることに間違いない。しかし、サケの漁獲量減少の説明同様に「温暖化」としか言わない。「酷い泥水の影響」だと言及する専門家は、不思議なことに誰一人としていないのである。

沿岸にシシャモ稚魚がいる時期に、この写真のような酷い泥水が流れ出せば、その影響を無視することはできない筈だ。

沙流川ではシシャモの産卵場造成事業が行われている。シシャモの産卵条件や卵が育つ仕組みを知らぬままに、単に、産卵に適した砂礫が集まるようにすれば良いと勘違いし、川底にコンクリートの柱を打ち込み、砂利が集まるようにしたものが作られている。沙流川が泥川と化してからはシルト分や微細な砂が溜まる一方で、シシャモが寄りつく気配は無い。この泥川にした根源である二風谷ダムによって、川底が掘り下がり、各所で川岸が崩れ、川岸から多くの立木が倒れ込む。そうした流木は、このシシャモの人工産卵場に引っかかるのである。労して益無しのシシャモ人工産卵場である。

沙流川の川底にコンクリートの柱を打ち込んだシシャモの人工の産卵場。
砂利で埋没した二風谷ダムからは酷い泥水が吐き出される。

鵡川も、沙流川も、酷い泥水が流れ出続ける限り、自然産卵由来のシシャモ稚魚は勿論、いくら放流しても稚魚が育つことはない。川底が掘り下がれば、地下水が減少し、川底から湧き出す水量が減る。湧水は多くの魚たちが越冬にも利用していることから、サクラマス幼魚やウグイなど、他の多くの魚種も減ることになる。

湧水の所在は、厳冬期の川を見ればすぐに分かる。川面が結氷しているのに、一部、川面が開いていたり、川岸の砂利が露出しているからだ。沙流川では湧水豊富なところでシシャモが産卵していた。遊楽部川でも然り、湧水はシシャモの卵の生育に大事な役割を担っている。

厳冬期、川面が結氷しているのに一部が開いている。沙流川、富川地区親水公園付近。撮影:2006年1月21日。
近づいて見れば、川面が開き、砂利も露出している。暖かい湧水で、氷がとけ、雪がとけている。沙流川、富川地区の親水公園。撮影:2006年1月21日。

道立総合研究機構栽培水試(室蘭)は、公の機関であり専門家がいるのだから、「海水温が高かったから稚魚が死んだ」という前に、鵡川や沙流川の、目の前で起こっている春先の雪解けの酷い泥水が、シシャモ稚魚に与えている影響をこそ、重要な課題として検証していただきたいものだ。暖かい湧水で卵が育ち、川から海へ泳ぎ出し沿岸で生活を始める頃、雪どけ増水の酷い泥水にか弱いシシャモの稚魚たちは晒され、泥水を吸わされ死んでいく。いくら人工孵化放流したシシャモ稚魚であってもだ。

ネイティブなシシャモが「幻」と化すのは、そう遠くは無い…いや実はもう、鵡川固有のシシャモはいなくなっているのかも知れない。こんなに不漁だという中、鵡川での人工孵化放流用のシシャモの卵は採れているのだろうか…?

 

せたな町の秋サケ、昨年に引き続き漁獲好調1.8倍。

北海道南部の日本海側ひやま漁業協同組合管内のせたな町では、昨年に続き、今年も秋サケの漁獲は好調という。漁期途中ながら、昨年の1.8倍と報道された。

渡島・桧山「ローカル版」誌面で報道されたのみだが、全道版、全国版で報道していただきたいものである。

地球温暖化の影響で秋サケの来遊数が減少し、漁獲が低迷していると専門家が解説している中、せたな町では2019年、2020年、2021年と連続で右肩上がりで増加し、2022年の今季は途中経過ながら、昨年の1.8倍と好調だ。

ひやま漁業協同組合は「せたな町・八雲町・乙部町・上ノ国町」の各漁協(支部)で構成されているが、驚くことに全量の8割が、せたな町での漁獲なのである。

何故、せたな町だけで漁獲量が多いのか?

せたな町が他町と違う点は、せたな町の2河川で、2010年から治山ダムと砂防ダムのスリット化を行ってきたことである。

北海道の保護河川「須築川」のスリット化した砂防ダム。撮影:2022年10月20日。
この川では4基の治山ダムをスリット化した。撮影:2022年10月24日。
スリット化した4基の治山ダムのうちの一つ。上流と下流がきれいにつながっている。撮影:2022年10月24日。

治山・砂防ダムのスリット化で砂利が流れ出し、河床低下が緩和され、川岸の崩壊のリスクが減少した。つまり、ダムの影響が取り除かれて、酷い泥水が抑止、低減されたのである。

サケ稚魚は酷い泥水の中で生きてはいけない。ふ化場の池に泥水が流れ込むと、サケ稚魚は壊滅的な被害を受けることからも、お分かりいただけるだろう。泥水が流れ続けているような河川では、放流サケ稚魚も自然産卵由来のサケ稚魚も、人知れず、多くが命を落としている。つまりは、生残率が低下しているので、サケの漁獲が減少するのである。

ダムのスリット化後、年々、川底に堆積している砂が粗めの砂礫に変わり、石と石のすき間ができ、川底を水が通り抜ける透水性が回復している。こうなれば、魚の繁殖できる場所がどんどん増えていく。益々、自然産卵するサケやサクラマスが増加していくことだろう。せたな町では秋サケ以外にも、サクラマスの漁獲が2021年、2022年と好調という。これは、繁殖環境の回復を示唆していることに違いない。その上、河口周辺の海域では、背丈の高いワカメが林のように繁茂するようになり、岩のりが採れるようになり、ウニが大型に育ち、数もたくさん採れるようになった。これはシルトや微細砂の酷い泥水が低減され、粗い砂礫に代わり、海藻の胞子が育つようになってきたからだ。粗い砂礫が岩礁を洗い、海藻の胞子が付着し易くなったり、岩礁の表面を覆っていたシルトや微細砂が無くなり、胞子が発芽しやすくなったためと考えられる。

一方、治山・砂防ダムの影響で、川底が下がり、川岸が崩れ、災害が多発するなど、相変わらず酷い泥水が流れ続けている太平洋側八雲町の遊楽部川では、本流、支流共に自然産卵するサケが殆ど見られなくなっている。自然産卵するサケがいないことは、ホッチャレサケを食べに飛来するオオワシ・オジロワシが激減していることからも明らかである。

2022年4月12日の遊楽部川。この酷い泥水の中に、ふ化場からサケ稚魚が放流されている。小さなサケの子どもたちは生きていけるのだろうか…?

春先、遊楽部川はこんな酷い泥水が流れている。この泥水に孵化場は、サケ稚魚を放流しているのである。泥水の中に放り込まれたサケ稚魚たちは、口からシルト分や微細な砂粒を吸い込んで、繊細なエラ組織を通して吐き出し、エラ呼吸している。繊細なエラ組織を傷つけ、エラ組織のすき間に付着したらどうなるかなど、サケ稚魚の身を案じもしない。孵化事業とは、命を紡ぐ仕事でもあるのではないのか。

こうした酷い泥水を発生させるダムの影響は、深刻なものなのである。

この現実に、サケ専門家たちは言及せず、サケ資源が減少したのは、「地球温暖化で海水温が上昇したからだ」とか、「海流の流れが変わったからだ」とか、はたまた、「北太平洋のどこかで異変が起きており、そこで若いサケが死んでいるのではないか」などと、もっぱら海洋での異変について解説している。しかし、現場を見れば、川から海へ降海する前の段階、つまり、川にいる段階で生残率が低下しているのが真実ではないのか。海洋異変の話に転嫁する前に、まずはサケとはどんな魚なのか、基本的知識に立ち返り、ご自分の足で現場に出向き、再生産の場である川をしっかりと観察され検証し、恥ずかしくない解説をしていただきたいものだ。