ほったらかし魚道。こうして魚はいなくなる。

その昔、サクラマスが真っ黒い塊になってウジャウジャと上がってきた美しい渓流河川、小鶉川。清らかな水を引いた水田に豊かに稲穂が揺れる。そんな風景が当たり前だった。今では、稲作農家はほぼ無くなり、大事に使われてきた頭首工から水を取ることは無いが、川だけは昔のままにサケが産卵し、深い源流域にはサクラマスも上る。しかし、それも失いつつある。

頭首工の下流で何の問題もなく産卵していたサケに、もっと上流へ上らせたいという人間のお節介が「魚道」を建設させることになり、川の仕組みを台無しにしたのである。魚道を造れば、必ず下流は河床低下を起こし、川底の石と湧水を失い、サケは産卵する場所を失う。昔から変わらない良好な川を壊さないで欲しいという願いは届かず、どこからか現れた魚の専門家といわれる妹尾優二氏の指導によって、魚道は建設されてしまった。川石も流木も堰き止めてしまう魚道は、機能することなく、たちまち管理が必要になる。5年前、「魚道の管理は誰がするのか」と質問した。集まった小鶉地区住民たちの前で、厚沢部町の担当職員は「魚道が完成した後は町の財産であるから、町も水利組合も大切に管理してゆく」と断言した。

大好きな小鶉川に、今年もサケの遡上を見に行った。魚道への管理道は笹草が生い茂り、相変わらず魚道は詰まったまま放置されていた。「サケを上らせるために魚道を造る」「造った後は、しっかり管理する」と言ったのは誰だったっけ…!?

魚道には水が流れていない。流木は、2年以上前から引っ掛かったままだ。何度も見に来ているが、魚道に溜まった石も流木もずっと放ったらかしだ。

小作「サケが上れないじゃん!」そうだよなぁ~。サケ可哀想だね。

サケの行く手を阻む魚道。下流の産卵場を失ったサケは、上流にも上れず、ウロウロと彷徨うばかりだった。

日本大学理工学部の安田陽一教授が考案した”砂利が溜まらないという台形断面型魚道”。しかし、現実は水も流れないし、砂利は溜まる一方だ。

「水が無ければ魚は上れない」は、常識。困った魚道だ。

頭首工のゲート板は、増水時と非灌漑期に倒す可動式。魚は、増水時に上流へ上る習性があるのだから、落差が小さなこの頭首工は遡上の妨げにはならない。節介な魚道を造った為に、魚はこのゲート板までも辿り着けなくなってしまった。

撮影:2006年10月4日。魚道が造られる前の下流。産卵に不可欠な石も湧水もある。
撮影:2017年10月27日。魚道が造られた後の下流。川底の石は無くなり露盤化。川底は、どんどん下がっている。

魚道が出来る前は、砂利がたくさんあって魚たちの産卵場になっていたのに…すっかり砂利が無くなってしまった川底は岩盤が露出し、魚から産卵場を奪ってしまった。良好な産卵場だったのに…勿体無い。絶妙なバランスで保たれていた自然の川の仕組みは、あっという間に壊れる。そして失うものは大きい。

砂利が無くなると流速は速まり、川岸の石も転がり出して一気に川は壊れてゆく。

魚道を速やかに撤去して、美しく豊かな小鶉川を取り戻したい。厚沢部町は、「魚道は財産」と言うよりも、「魚が棲む豊かな美しい川が財産」であることを自慢して欲しい。撤去がダメと言うなら改善から始める対策を!今なら、まだ間に合う。