2022年11月26日、平取町民体育館に於いて平取ダム竣工式が行われた。治水・用水・発電の多目的ダムとして二風谷ダムと合わせて2ダム一事業として平取ダムは建設された。
平取ダムは、沙流川支流の額平川と宿主別川の合流点に建設された。堤高55m、堤長350m、貯水量4,580万㎥。
額平川と宿主別川の合流点の淵では、故萱野茂さんが、「棒を投げたら、棒が倒れないほど沢山のサクラマスがひしめき合っていた」と話されていた。
試験湛水で、既に粘土のような泥が大量に溜まっている。


2022年11月26日、平取町民体育館に於いて平取ダム竣工式が行われた。治水・用水・発電の多目的ダムとして二風谷ダムと合わせて2ダム一事業として平取ダムは建設された。
平取ダムは、沙流川支流の額平川と宿主別川の合流点に建設された。堤高55m、堤長350m、貯水量4,580万㎥。
額平川と宿主別川の合流点の淵では、故萱野茂さんが、「棒を投げたら、棒が倒れないほど沢山のサクラマスがひしめき合っていた」と話されていた。
試験湛水で、既に粘土のような泥が大量に溜まっている。
「鵡川と言えばシシャモ。シシャモと言えば鵡川」というほどに有名なシシャモの産地が記録的な不漁だ。
道立総合研究機構栽培水試(室蘭)は、「昨夏の高い海水温の影響で多くが稚魚段階で死んだ」と分析。本当だろうか…?道南の太平洋側、八雲町の遊楽部川には分布の南限とするシシャモがいた。しかし、2005年頃には姿を消し、絶滅。大繁殖から絶滅までの経緯を、その現場を見てきた者としては、この水試の見解は疑問だ。
遊楽部川のシシャモ絶滅原因の最初の一歩は、河川事業でシシャモの大産卵場が壊され、資源量を減らすことにはなったが、絶滅の主因ではない。シシャモの卵は湧水に抱かれて育ち、早春に孵化した稚魚は川から海へ下り、沿岸で生活を始める。しかし、春先の雪解け増水の酷い泥水を吸わされた稚魚たちの多くが命を落とし、絶滅に至ったのが真相だ。それ以外の要因はない。
シシャモが産卵する川底の砂礫はシルト分や微細な砂は見られず、さらさらとした「粗い礫」となっている。しかも、川底から湧水が出ている場所だ。ところが、遊楽部川には治山ダムや砂防ダムが数多くあり砂利が止められているため、ダムの下流は川底の砂利が流され、川底がどんどん堀下がった。その上、湧水が豊富なので、噴き出す川底は容易に掘り下がるから、川岸、護岸も崩れて災害が多発。河川管理者は護岸を守るために、このシシャモの大産卵場に袋体床固工(漁網に石を詰め込んだもの)を敷き詰めて、産卵できなくしてしまったのである。主たる産卵場を失ったシシャモは、それでもかろうじて別の場所で産卵していたが、あちこっちで崩れた川岸から流れ出す酷い泥水の影響を受け、息の根を止められてしまったのである。
この酷い泥水を抑止しなければシシャモ資源は残せない。シシャモ資源を残すために道立水産孵化場に調査を依頼したものの、残念ながら2005年にはシシャモの姿が見えなくなり、シシャモ資源の保全策の提言もされぬまま、調査は打ち切り。かくして、遊楽部川のシシャモは絶滅したのである。
鵡川のシシャモの不漁の原因は、遊楽部川のシシャモ絶滅の経緯から、酷い濁り水であることに間違いない。しかし、サケの漁獲量減少の説明同様に「温暖化」としか言わない。「酷い泥水の影響」だと言及する専門家は、不思議なことに誰一人としていないのである。
沿岸にシシャモ稚魚がいる時期に、この写真のような酷い泥水が流れ出せば、その影響を無視することはできない筈だ。
沙流川ではシシャモの産卵場造成事業が行われている。シシャモの産卵条件や卵が育つ仕組みを知らぬままに、単に、産卵に適した砂礫が集まるようにすれば良いと勘違いし、川底にコンクリートの柱を打ち込み、砂利が集まるようにしたものが作られている。沙流川が泥川と化してからはシルト分や微細な砂が溜まる一方で、シシャモが寄りつく気配は無い。この泥川にした根源である二風谷ダムによって、川底が掘り下がり、各所で川岸が崩れ、川岸から多くの立木が倒れ込む。そうした流木は、このシシャモの人工産卵場に引っかかるのである。労して益無しのシシャモ人工産卵場である。
鵡川も、沙流川も、酷い泥水が流れ出し続ける限り、自然産卵由来のシシャモ稚魚は勿論、いくら放流しても稚魚が育つことはない。川底が掘り下がれば、地下水が減少し、川底から湧き出す水量が減る。湧水は多くの魚たちが越冬にも利用していることから、サクラマス幼魚やウグイなど、他の多くの魚種も減ることになる。
湧水の所在は、厳冬期の川を見ればすぐに分かる。川面が結氷しているのに、一部、川面が開いていたり、川岸の砂利が露出しているからだ。沙流川では湧水豊富なところでシシャモが産卵していた。遊楽部川でも然り、湧水はシシャモの卵の生育に大事な役割を担っている。
道立総合研究機構栽培水試(室蘭)は、公の機関であり専門家がいるのだから、「海水温が高かったから稚魚が死んだ」という前に、鵡川や沙流川の、目の前で起こっている春先の雪解けの酷い泥水が、シシャモ稚魚に与えている影響をこそ、重要な課題として検証していただきたいものだ。暖かい湧水で卵が育ち、川から海へ泳ぎ出し沿岸で生活を始める頃、雪どけ増水の酷い泥水にか弱いシシャモの稚魚たちは晒され、泥水を吸わされ死んでいく。いくら人工孵化放流したシシャモ稚魚であってもだ。
ネイティブなシシャモが「幻」と化すのは、そう遠くは無い…いや実はもう、鵡川固有のシシャモはいなくなっているのかも知れない。こんなに不漁だという中、鵡川での人工孵化放流用のシシャモの卵は採れているのだろうか…?
2018年7月4日に二風谷ダムは大雨に備えて、水位を下げるためにダム底のオリフィスゲート7門のうち5門から放流操作がされた。通称「土砂吐きゲート」と呼ばれ、深黒の泥そのものが吐き出されていた。湛水域の水位が下がったので土砂で埋まった二風谷ダムの全容が見えた。
「二風谷ダム定期報告書概要版・平成27年3月」の二風谷ダムの仕様図から土砂の堆積状態を照合した。
露出した土砂のレベルは、凡そ41.0mの位置と分かる。このレベルを二風谷ダムの仕様図に当てはめて見ると…、
水面から露出した土砂の位置は、オリフィスゲート放流口の上端の5mほど上に位置していることが分かる。ということは、オリフィスゲートはすっかり泥に埋まっているのだ。泥に埋まった放流口から放流しているのだから、出てくるのは泥ばかりという訳だ。つまり、二風谷ダムは土砂で埋まっており、オリフィスゲートの放流口付近だけが土砂に埋もれた中で溝のようになっていると推測される。下記のサイトにも二風谷ダムの状況が報告されているので参考にしてください。
URL:https://www.hkd.mlit.go.jp/ky/kn/kawa_kei/ud49g700000088o0.html
土砂で埋もれた放流口から、ダムの堆砂を定期的に吐き出しているのだから、膨大な土砂が日常的に下流へと放出されている訳だ。こんな状況では、二風谷ダムの下流域で産卵するサケやシシャモ資源が枯れるのは当然である。魚類学者や生物多様性保全戦略にかかわる委員会や行政、また、水産行政は水産資源を失うばかりのこの状況をどう判断しているのだろうか。地元漁協は補償金を得ているので声を上げられないのかも知れないが、水産資源を失っては元も子もない。損害額は毎年毎年増えて補償金を遙かに超える損害とともに、取り返しがつかない禍根を残すことになる。
清流・沙流川だったころを思い出してほしい。そして、現状を直視して記憶にある清流・沙流川と比較してほしい。二風谷ダムが冒しているこの現状に黙っていないで声を上げることが必要だ。
上記のサイトでは二風谷ダムの堆砂量(貯め込んだ土砂)は大きく増えていないという。頭打ちで、増加傾向は見られていないというが、下の写真を見ていただきたい。二風谷ダムの流入部にある管理橋とその真下にある貯砂ダムだ。貯砂ダムには階段状の魚道が付属しているが、流れてきた土砂で上流側も下流側もほぼ埋まってしまい、現在は魚道は砂利の中にある。これでも二風谷ダムの堆砂量は増えていないというのだから、不思議なことである。
二風谷ダムは堆砂容量の範囲を超え、貯砂ダムも埋まり、さらに上流へ、上流へと土砂を堆積し、貯め込み続け、V字谷を埋めて河床を押し上げ平にならしている。このように上流へ上流へと堆積していく土砂量は二風谷ダムの堆砂エリアから外れているとでもいうのだろうか?明らかに二風谷ダムの影響で上流へと堆積しているのだから、これを二風谷ダムの堆砂量に含めて然るべきである。
膨大な土砂を貯め続ける二風谷ダムの現場がそこにありながら、現場の実態と乖離した、責任逃れの自己正当化した報告書でしかない。
日高地方、沙流川の上流にある岩知志ダムは、堆砂率全国ワースト5位にランクインされた土砂で埋まったダムである。国土交通省のHPには読み取り不明瞭なグラフと公表年度が不明で公開されている。
URL:http://www.mlit.go.jp/river/dam/main/dam/ref16/ref-p3.html
その岩知志ダムで、ダム堤体の直下、左岸の岩盤が道路もろともに大規模に崩壊した。ダムによって川底が掘り下がっているところに2016年8月31日の豪雨が起因したと思われる。以下に、崩壊前と後の写真をスライドで比較している。また、崩壊前の道路が写ったGoogle Earthの衛星写真に、崩壊した範囲を図示。その規模が分かる。
崩壊した岩盤には無数の亀裂が見られ、水が浸透している。やがては剥がれ落ち、更に崩落は進むだろう。
岩知志ダム上流は、土砂で溜まり深いV字谷は埋まっている。左側の支流から流れ込む砂利が水面から出て見えるのは、堤体まで土砂で埋まっている証である。岩知志ダムが止めている膨大な土砂はさらに上流へ、上流へと今もなお溜め込み続けている。この状態で、岩知志ダムが崩壊すれば、膨大な土砂は一気に下流へと放出されてしまうだろう。
危険はないのか…?北海道電力広報部に聞いた。「影響は無い。崩壊地については河川管理者が見守っている」との回答だ。その河川管理者である室蘭開発建設部に問い合わせているが、今だ返事はない。
取材中、崩壊した道路を利用していた住民が「どうなるんだろうねぇ…」と不安を語っていた。ダム下流で暮らす人たちは、この予測できる危険な事実を知っているのだろうか。
清流であった沙流川のアイヌの聖地を水没させた違法ダム「二風谷ダム」。ダムは満杯に泥で埋まっている。国の膨大な予算を使って計画された当時の役割を、完全に失っているダムである。
雨が降る度に、沙流川は泥水が流れ、今なおダムは泥を溜め続けている。
二風谷ダムは膨大な泥を溜め込んで埋まっている。繁茂したヤナギが陸地化していることを教えてくれている。
こうして溜まった泥は、極々微細な為に、濁りはなかなか治まらない。ダムの下流域から河口まで泥を被せ、沿岸域まで埋め尽くしている。
清流・沙流川は、鵡川と並んでシシャモの繁殖河川である。この状況で繁殖が出来る筈もない。昨年、かつてないほどの不漁だったという。年々減少し、さらに資源が危機的な状況になっている原因は、この泥水にあり、その泥水を生み出しているのがダムである。専門家たちが、それに全く触れないのは何故なのか、不思議でならない。
そして、支流の額平川には、新たに「平取ダム」が建設中である。
平取ダム建設中の額平川も、そこへ合流する宿主別川もご覧のように酷い泥水となっている。これでは、清流・沙流川は更に酷い泥川にされてしまう。沙流川からシシャモの姿が消えるカウントダウンが始まった。
正面の山はアイヌの祈りの場といわれる神聖な山「チノミシリ」である。チノミシリに「穴を穿ち、ダム堤体を取り付け、麓を水没させる」平取ダム。
額平川、宿主別川の酷い泥水は、降雨の度に土砂や流木が後を絶たずして沙流川へと流れ下っている。確かに 平取ダムが完成すれば、その土砂・流木をダムが溜め込む。しかし、それは、瞬く間に膨大な量となり、土砂で埋まり、流木が押し寄せ、雨が降らずとも常に下流域一帯を泥川にさせてしまう。そして、大型台風で起こった大災害を招きかねない。あの二風谷ダムと同じように。
ダム下流に平取水位観測所があり、この時の水位は放水量に見合う水位よりも低い値を示していたのだ。驚いたことに、その後、北海道開発局は「計算式が間違っていた」として計算式を変更したのである。そして、二風谷ダムを護るために、下流の住宅は水没したままにされていたのだ。ダムは百害あって一利無し。映像をご覧ください。
国土交通省及び北海道開発局(室蘭開発建設部)は、完成後、たった5年で満砂になった二風谷ダムに、これ以上、泥を溜め込まさない為に、上流で平取ダムの建設を進めている。しかし、ダムが完成した後の巨大ダムが引き起こす泥と流木の発生メカニズムは把握しているのだろうか?二風谷ダムの教訓は活かされているのだろうか?
そして、何よりアイヌ民族の暮らし、文化、沙流川流域で暮らす人、シシャモ漁師、次代への自然、資源を支えてきた清流・沙流川の「過去」も、「現在」も、「未来」も、失うことになる。平取ダムが抱えている事の重大さを、冷静に、真摯に現場に向き合い、今一度、振り返って考えていただきたい。