「日本は山が険しく川は短くて急なため、雨が降ると洪水となって水害を起こすのが暴れ川。そこで昔の人は様々な方法で治水に取り組んだ。その方法は今とは違い、降った雨を土に返し水が一度に下流に押し寄せないことを基本とし、これを実現する色々な堤を上流に築いた。これにより、洪水の時には上流でわざと水をあふれさせることもあったが、そこには竹やぶや森林を育てられ、水や土砂の被害を減らした。そして何よりも、はげ山から一度に水が流れて土砂が川を埋めないよう、山の維持に注力したのである。どこまでも水を土に返してこそ、暴れ川は緩やかになる」
これは、中学国語の教科書にある「暴れ川」の解説である。
河川管理者は、この「暴れ川」という言葉をよく使う。川が増水して流路が変動し、土砂災害・流木災害をもたらす危険な川を指し、治山・砂防ダム建設を行ってきた。しかし、そのダムが何故、川を暴れさせているのだろうか?
北海道南部、渡島半島の日本海側に注ぐ、八雲町熊石の「見市川」を見ていただきたい。この川は、ごく普通の渓流で川幅も狭い川だったのだが、上流の砂防ダム、支流の治山ダムの影響で、どんどんと川底が下がり、川岸は崩れに崩れ、川幅は大きく広がった。今もなお河床低下は加速し、川の荒廃は進行しているのである。
本流の砂利の需給バランスをこの2つのダムが狂わせている。更に下流にある支流「二股川」と「冷水川」では、上流域の国有林内の多くの治山ダムがあり、ここでも砂利を止めている。その結果、本流からも、支流からも砂利が流れ込まなくなった下流域では急速に川底が下がり、川岸との落差が開いて川岸があっちこっちで崩壊している。
川底が下がれば、水流が川岸の基礎部を浸食し始める。「砂山くずし」のように、土台を抜いていき、やがて、ドサッと崩れる。足場を失っては立っていられない。崩壊面をよく見ていただきたい。砂利は崩れ出し、崩壊面は垂直になっている。
河床低下は、川底の砂利が流されることで、川底が下がって行く現象だ。川底が下がれば、川岸の基礎の砂利や土壌が抜かれて、まるで「砂山くずし」のように崩れ落ちて酷い泥水となって流れ出す。そして、流れが運ぶ砂利が大量になると、流れの行く手に堆積して行く手を塞ぎ、川自らが、流れる方向を変えてしまうのだ。
流れが変われば、川底の砂利を押し流すので、川底が下がり、流れが移動する。流路が右へ左へ変わり急激に変動することになり、新たに川岸を浸食して崩壊させるようになるわけである。こうした変動を、河川管理者は「暴れ川」と称しているのだろうが、明らかに、ダムによって人為的に流路が歪められているから川が暴れているのである。
この下流では、2024年1月30日に補修が完了した護岸が再被災していた。
河川管理者はこれを「未満災」と言うそうだ。河床低下が止まらない限り、何度も何度も補修しても、未満災の再被災、再々被災が続くばかりとなる。この下流でも補修していた護岸が崩れ、新たな崩壊が広がっている。
このようにダムが起こす「河床低下」によって、川岸が崩れ、流れ出した大量の砂利が流路を変え、新たなる川岸浸食が始まり、土砂・流木が流れ出し、災害に結びつく。上流のダムが砂利を止めている限り、崩壊規模を拡大させていくのである。
綺麗に見える川水であっても、泥は大量の砂・微細砂を沈澱し堆積させ、川底の石と石の間に入り込み、伏流水や湧き水の流れを遮断する。その結果、サケやサクラマス、ウグイやカジカ、ウキゴリ…多くの魚たちの卵が育たなくなり、繁殖出来なくなる。水質良好でも、魚がどんどんいなくなっていくのだ。自然界の再生産の仕組みを壊し、漁業資源を枯らす。
河川管理者は、「暴れ川」の真実を見極めて、正真正銘の治水と川の再生産の仕組みを蘇らせるためにも、砂利の流れを止めている砂防ダムを撤去する英断を、早急に真摯に取り組んでいただきたい。