南富良野町で被災された皆様にはお見舞い申し上げます。
2016年8月31日、南富良野町幾寅市街地で空知川の堤防が決壊した2つの箇所を見て、驚いた。堤防が決壊した2箇所ともが、2007年6月12日に堤防の前にあった河畔林を、すべて伐り払って行われた護岸工事の箇所だったからだ。
今から9年前の2007年6月に行っていた南富良野町空知川の護岸工事は、実に中途半端に終わったまま、次にどこが被災するかが予測できるような工事であった。意図的に、堤防を被災させ、次の工事を生み出すための工事ではないかと疑問を抱いていたことと、河川管理者の自作自演の災害起こしと補修工事興しの事例として取材を行い、記録のために撮影を続けてきた。
堤防と流路の間の河畔林は、堤防に直に水流が当たらないようにクッションとなって、堤防を守る役割がある。その河畔林を皆伐したのだから、増水時には激しい流れが”速い流速のまま”、堤防に押し寄せ、直撃し洗掘させた可能性がある。そして、堤防へ水流を引き込むために、途切れた河畔林の場所で(Google Earthの写真⇒赤点線円)、一気に水位を押し上げることになる。その結果、水は堤防から溢水した可能性が高い。
2007年当時、北海道開発局石狩川開発建設部は、「壊れた護岸の補修」と「古い護岸の改修」、及び、「流下障害を取り除くために河畔林を伐採」した。河畔林の伐採については、滝川の日本野鳥の会から「繁殖中の鳥はいないので、伐採しても問題はない」というので、影響評価済みの環境に配慮した伐採だと説明していた。
※石狩川開発建設部は平成22年に札幌開発建設部に統合された。
しかし、この2箇所が破堤したのだから、奇異なことだ。
もう一つ重要な証言がある。幾寅在住の知人は、「金山ダム湖から水が空知川の上流へ向かって逆流しているように見えた」と言っている。
時系列で検証すると、この証言と合致するのである。
河川管理者は、破堤の時刻を8月31日午前4時40分と発表。
URL:http://www.hkd.mlit.go.jp/topics/press/press_h2809/02_gaiyou.pdf
河川管理者は、金山ダムから洪水調節のための放流は、同日午前5時40分から始めたと発表している。
URL: http://www.hkd.mlit.go.jp/topics/press/press_h2808/31_houdou5.pdf
つまり、破堤した午前4時40分には、金山ダムの水位が上昇していたことになる。空知川の流入部から水位が上流へ向かって、証言の通り目に見えて分かるほど上昇していたということだ。即ち、南富良野町幾寅の水害は、ひとつに「金山ダムの放流操作のタイミングを逸したこと」で空知川の水位を押し上げたこと。もうひとつは「2007年6月12日に行った護岸工事で河畔林を伐採したこと」が、破堤した堤防付近の水位を押し上げるという事実があったからだ。
南富良野町幾寅の水害は、河川管理者である北海道開発局石狩川開発建設部(現・札幌開発建設部)の2つの不手際によって引き起こした「人災」による破堤なのではないか。
北海道開発局石狩川開発建設部(現・札幌開発建設部)は、南富良野町側の防災体制(伝達)の不手際を強調しても、自らが管理するダム操作の不手際や護岸工事の不手際には触れない。そして、メディアも万事のように、河川・防災学者らが「異常気象による水害」という解説に洗脳されたように私たちに映像を提供するだけである。河川・防災の専門家がもしも良識のある科学者であるなら、科学的な原因究明をしなければいけない。住民の証言を検証することもなく、己の驕りに酔いしれた傲慢な科学をしてきたから、同じような災害が多発しているのである。
「人災」を「天災」としておけば、誰の責任も問われることなく平和な解決策なのだろう。しかし、都合の悪い真実を隠せば隠すほど、災害の規模は益々拡大し、今後も更なる被災者、犠牲者を生み出していくだけである。
※ 施工者名を訂正して、お詫びいたします。
誤:「北海道開発局旭川開発建設部」⇒ 正:「北海道開発局石狩川開発建設部」⇒ そして、平成22年に「札幌開発建設部」に統合された。
※読者様の指摘を受けて10月13日に訂正。その後、北海道開発局に確認し、訂正しました。