知床半島、オホーツク海に注ぐフンベ川にある治山ダムが砂利を止めているため、下流一帯で河床低下が進行し、川岸の崩壊や川に面した山の崩壊が際立っている。
フンベ川の記事は下記を参照。URL:フンベ(噴辺)川 | 流域の自然を考えるネットワーク (protectingecology.org)
河床低下が著しいこのフンベ川に、治山ダムの影響を温存させたまま、魚道が建設されたという。
魚道が、さも効果があるように報道されているが、行く手をダムに遮られて上れない魚たちに、上り口をあけてやれば上るのは当然だ。だが、魚を上らせれば、魚が増えるかと言えば、必ずしもそうはならないことを知るべきである。魚道から流れ出す砂利は小ぶりの砂利ばかりだ。従って、魚道の下流側の川底の砂利は流され、魚道の上り口が掘り下がって行き、やがては魚が上れなくなる。河床の砂利の下が岩盤であれば、岩盤が露出してしまい、魚は産卵できなくなる。
治山ダムは上流にどんどん砂利を溜めていくので、V字谷が平らになり、流路は平面を蛇行し、山を浸蝕して崩壊させ、泥水を発生させる。また、治山ダムの下流では河床低下が進行して、川岸崩壊や川に面した山を崩壊させ、川はどんどん壊れていき、ちょっとした増水で泥水が流れ出すようになる。
この流れ出す「泥水」が曲者だ。泥水は川底に微細な砂やシルトをまき散らし、河床に沈澱、堆積し、石のすき間を埋めてしまう。泥水を口から吸い込んで、エラから吐き出すことを思い描けば、エラに微細な砂泥が入りこみ、魚は粘液を出して体を守ろうとすればばするほど、エラには砂泥が付着していく。その結末は死であることは容易に想像できることだ。川底に産み落とされたサクラマスやカラフトマスの卵を育てる仕組みが壊れ、繁殖不能の川にしてしまうのだ。魚は上るようになっても、やがては魚が減り、生物多様性も失われる。従って、魚道の効果は一時的な”見せかけ”に過ぎないのであって、魚が増えることにはならないことを肝に銘じてほしい。コンクリートであれ石組みであろうが見せかけに錯覚していれば、川は壊れ、やがては資源は確実に減少、失うことになる。
魚を増やしたいのなら、繁殖環境を蘇らせることだ。
魚の卵が育つ仕組み「再生産の仕組み」を知っていれば、結局、治山ダム・砂防ダム・落差工の撤去、または、スリット化するしかないことが良く分かる。河床の砂利は下流に流れ出し、河床が安定し、再生産の仕組みが蘇り、上流でも下流でも魚が繁殖できるようになり、魚は増える。また、酷い泥水が抑止されるようになれば、放流した稚魚の生残率も向上するというものだ。
上の写真は、落差工に取り付けられた日本大学理工学部の安田陽一教授が考案した「台形断面型」魚道だ。魚は魚道を上ることができず、産卵場へ行くこともできず、行き場を失い、真っ黒に溜まって右往左往だ。治山ダム同様に、この落差工を温存させたために、下流域の川底の砂利が流され、粘土質の川底が露出してしまい、産卵場すら無くしてしまったのである。
なぜこんなことになったのか…?
自然の川は単なる水路では無い。川には多様な生物が生息し、それぞれに見合った暮らしがあり、最も基本的なことだが、川にはその多様な生きものたちの生命を育む「仕組み」があるのだ。この多様な生きものたちの生命を育む仕組みについての知見が欠けていたのでは魚がいなくなるばかりだ。
今回のフンぺ川治山ダムの魚道では、「コンクリートよりも自然の見た目に近い」と安田陽一教授は石組みにされたが、命を育む仕組みは何も変わらないから魚は増えない。魚は上っても再生産の仕組みは失われたままだからだ。この「自然石を使用した魚道」建設礼賛の報道をしたマスコミ記者の方にも、魚道で魚は上っても、その後の資源の増減の真実を取材して続報していただきたい。
治山ダム・砂防ダムを含めて、砂利を止める河川横断工作物の影響は深刻なものなのだ。河川横断工作物の影響の深刻さを無視し、見せかけだけの自然石を使った魚道建設を礼賛し、魚を増やすという発想は、所詮は薄っぺらな見せかけでしかない。魚の繁殖の方法や産み落とされた魚の卵が育つ仕組みを知らなければ、いくら魚を上らせても、資源が増えることはあり得ない。
魚の習性や川の仕組みを考慮されずに建設される「魚道」ほど、やっかいなものはない。日本全国の川で魚たちは繁殖出来なくなっており、水質がどんなに良くても、魚がどんどんいなくなっているのが現実である。